28 宮寺氏館跡

 

ページ番号1002152  更新日 令和2年11月14日 印刷 

宮寺氏館図面

宮寺氏館写真
土塁(左)と狭山丘陵の沢水を利用した堀(右)

市指定文化財(史跡・昭和59年7月25日)
 宮寺氏は、武蔵七党のひとつ村山党(平姓)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構え、宮寺氏を称したとされる。その後、鎌倉幕府滅亡時には加納下野守(しもつけのかみ)が、江戸時代には狩尾氏・伊濃氏が居を構えたといわれ、現在は西勝院(さいしょういん)の境内地となっている。
 外郭約130m四方で、内郭の堀跡・土塁の一部が残存している。土塁の外側に沿って、狭山丘陵からの沢水を利用した水堀が館を囲っていた。周辺には「城ノ腰(しろのこし)」・「城東(しろひがし)」・「的場(まとば)」・「的場後(まとばうしろ)」という小字があり、館に関係のある地名と考えられる。また、境内より鎌倉期から室町期にかけての板碑や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が出土している。

このページに関するお問い合わせ

教育部 博物館
〒358-0015 埼玉県入間市二本木100
電話番号:04-2934-7711 ファクス:04-2934-7716
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。