佐藤信介監督
独占インタビュー
8月21日、入間市で行われた「ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜」の試写会に特別ゲストとしておいでいただいた佐藤信介監督に、独占インタビューにお応えいただきました。
「ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜」が、いよいよ明日、公開を迎えますが、今の率直なお気持ちは?
この映画には、とても長い時間をかけて来ています。約4年間…ですね。これまで撮ってきた実写映画なら、長くても1年くらいだったので、その意味からも、いつもと違うドキドキ感があります。
きっかけは1冊の絵本ということですが。
小さな民話集の中で、ひとつだけ心に留まった民話あって、じゃあ、(出雲祝神社に)行ってみよう、と。駅からタクシーに乗ったわけですが、たまたまタクシーの運転手さんが知らなくて。やっと探し当てた、住宅地の中の神社がそこで。
自分としては、もうその辺から、小さな冒険が始まっていた感じでした。出雲祝神社の周りで「ハタヤの稲荷」を探したんですが、意外にたくさんお稲荷様があって、その時は結局、どれが「ハタヤの稲荷」なのかが分からなかったんですが… それでも、すごくドキドキしながら、探していました。…そんな想い出があります。
「ハタヤの稲荷」の話が、たくさんある民話の中で、どうして心に留まったのでしょうか?
「なくしたものが帰ってくる」「卵をお供えする」「キツネが無くしたものを届けてくれる」…これって、あるようでなかなかない話だと思うんです。それに加えて、自分もちょうど、無くしたものを探す映画を撮りたいと考えていたところで。ふたつのことが偶然重なって、ひとつの話に繋がっていったとうい
うか…
それが4年前のことですね。その後、ずいぶん時間がかかったようですが?
なんとなくひとつの話になったとは言っても、ほとんど何もないところから話を作っていったわけですから、まず、どんな話にするか、ということだけでも、ぼんやり1年くらいかかっています。
脚本もお書きになっていますが、物語を膨らめていく中で、どんな思いがあったのでしょう?
まず、CGでアニメを作ることは決めていて、だからこそ自由に作れるということもあったわけですけれど、ただ「自由」って言われても難しいわけです。それで考えたときに、子供の頃、広島の田舎で育って、月に1度の映画が楽しみだったんですが
、その頃に感じていた映画館の「特別」な空気感とか、わくわくするような感覚を思い出すような、そんな映画を作りたい、と思っていろいろ考えました。
CGだからできたことはありますか?
この映画はCGでありながら、すべての絵が「手付けアニメーション」で描かれています。ある意味、たいへんな冒険をした映画なんです。だから、どの絵を見ても、誰がいつ、どうやって描いたのか、などといった想い出があるんです。
CGだからできたことは、まずは、「ホッタラケの島」のような空間ですね。まったくの異世界で大冒険をするという話は、CGだからこそ、です。
それと、CGだから、ということで、自由にやろうと思ったんですが、さっきも言った通り、「自由」って難しいんです。それでも、自分が一番わくわくすることを、みんなにも届けたいと思いまして。CGだけれど、これまでに見たこともない絵で表現したかったんです。それで、CGをどう使おうか、かなり試行錯誤しました。
その結果、CGの良さと手描きアニメーションの良さを融合するような形となりました。これは、ぜひ観ていただいて感じて欲しいことなのですが、「こちら側」の背景は手描きで描かれていて、キャラクターはCGという、見たこともない画になっています。結果として、「これが最新だ」という画像にはなっていませんが、ちょっと懐かしい感じを残しつつ、見たこともない不思議な画を作ることができたのではないかと思います。
一番たいへんだったところは?
やはり、主人公の遥が一番苦労しました。そもそもCGで人間を描くのは難しいことなのですが、映画が出来上がって、試写会を観られた皆さんの感想は、遥がCGだったからどうの、という感想はまったくなくて、遥の気持ちが伝わってきた、とか、遥の表情が良かった、とかの感想を言っていただけた。最初はCGで人を描くというのは、とても大きなハードルだったんですけれど、それを越えられたな、と実感しています。皆さんにもぜひ見てほしいです。
特に、遥の顔や表情をどうするのかは、非常に悩みました。実写ならオーディションにあたる部分で、何パターンも画を描いてもらって… 正に「手塩にかけて」育て上げた感じですね。
一番最後に、映画が仕上がって、観た時の感想は?
この映画は実は、これまで作ったものの中でも、最も多く「観た」映画になっています。絵コンテから何度も繰り返して
観ていて… 完成にちょっと近づいた、もうちょっと近づいた、みたいな感じで。その意味での「出来上がった〜!」という感慨はあまりなくて。
でも、本当の最後に、全部の画が繋がって完成した映画を観たときに、なんだか人の映画みたいに見えたんです。誰かが作った、面白い映画が流れているなー というように観れた。自分で作ったことなんか忘れて、そういうことを気にせずに観れたんです。それで、もう、直すところはないな、完成したなと思いましたね。
監督が直すところがないな、というのは、すごいことだと思うのですが?
映画って実は、最初の種をまいた後は、延々と直していく作業なんです。直して直して、最後に、もう直すところがない、となった時に映画作成は終わるんです。
でも今回に関しては、そのよな作業を4年続けて来たわけで、終わった時は、自分でも信じられない感じでしたね。「終わっちゃうんだ〜」というような。寂しい感じ。…嫁いでいった感じですかね(笑)
皆さんに届いたらいいな、と思っていることは?
今回は、「宝探し」の映画を作りたいと思っていて。宝探しというと、だいたい、金塊とか重要な価値のあるものを探すわけですが。でもそれって、人(他人)にとっての宝物なんじゃないかな?って思って。本当の宝って、自分にとっての、自分だけの宝物なんじゃないかなって思ったんです。
宝探しって、人にとっての大事なものを探しているんじゃなくて、自分にとってだけの宝物を探すべきなんじゃないか、そう思ったんです。
それで、人にとってはどうでも良くても、自分にとってだけの宝を必死になって探す。そういう映画をやるべきじゃないか、と思って作ったんです。ものすごい、馬鹿みたいな大冒険をして、見つけたものは本当に小さなもの。人にとってはどうでもいいもの。でも、自分にとっては一番大事なもの… そんなことを感じてもらえるような、ささやかな映画であってほしいな、と思っています。
(詳しくは言えませんが)最後に「寂しさ」が残ったのですが…
本当に楽しい映画を観終わった後というのは、寂しいものだと思うんです。
例えば、さっき話した子供の頃、映画館からの帰りの車の中の寂しさとか、堪らなかった想い出があるんですね。それで、そんな寂しさこそ、映画のひとつの醍醐味じゃないかと思っているんです。だから、そんな映画を自分も観たいし、作りたいと思っています。むしろ、寂しさをこそ感じて欲しいとすら思っているんです。
最後に、今日、改めて入間市にやって来て、駅前の「のぼり」や市民の皆さんの反応などを見ての感想は?
びっくりしています。
最初は、小さな稲荷を探して、というところから始まって、1本の映画になるまで走り続けてきたわけですけれど。映画は、出来上がってしまうと、作った側としては、ある意味「さよなら」というところで。あとは、受けとる皆さんのものになるんです。
今日も、僕の知らない、半纏を着た遥(万燈まつりのポスター)がいたりして、ある種、自由に「遊ばれてる」のを見て… 入間市の皆さんに、そうやってこの映画で「遊んで」もらえているのをすごく感じて、嬉しい限りですね。もう、好きに使ってください!って感じです(笑)
全然いやじゃないですよ。楽しいばかり。映画は巣立った瞬間、人のものになっているんです。観た方のものです。自由に解釈してほしいし、僕が「ここが見どころです」って言うんじゃなく、皆さんそれぞれに自由な見どころををもってほしいし、全然違った見方をしてほしい。僕の考えとは離れれば離れていくほど嬉しいかもしれません。
……入間市の皆さんは、たいへんな宝物をいただいたのかもしれませんね。
【入間ケーブルテレビ・FM茶笛・入間市知名度アップ委員会 合同取材】
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「ホッタラケの島」公式サイト(外部リンク) / 東宝WEBSITE「ホッタラケの島」(外部リンク)
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