市長随筆集その1(第1話から第50話まで)
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歩キ目デス
第50話 教育改革 平成9年10月1日
今、教育のあり方が問われています。橋本首相も、六大制度改革の一つの柱として、教育改革を挙げています。それらの議論は、親、教師、行政の視点よりも、子供の目線での議論がより重要です。週5日制によって、ゆとりの教育の実現が期待されましたが、現実はなかなか難しいようです。
本来、人としての基礎的学習(社会の構成員としての他者への思いやり、責任ある行動等) が教育の原点であり、そうした学習が、家庭、学校、行政(地域社会)の連携のもとに行われるべきが望ましい姿です。これらの共同作業によって、子供たちが人間として生きるための、しっかりとした土台を作ることができるものと思います。そして、その土台の上に、知的枝葉を茂らせることができるならば、心豊かで思いやりのある人間として成長していくものと思います。
しかし、めまぐるしい変化、情報はんらんの社会の中で、戸惑っている子供たちもいます。これらの子供たちに、明るい展望を与えられてこそ、真の教育改革であると思います。日本の未来を担う子供たちのための議論は、もっと深められるべきではないでしょうか。
第49話 祭り 平成9年9月1日
7月から10月は祭りシーズンです。規模、方法等の違いはありますが、大人も子供も暑い夏、さわやかな秋の一日を楽しく過ごす姿に、活きているまちを実感します。
洋の東西を問わず、人間は祭り好きです。それぞれに異なるルーツを持ちながら連綿として続き、時に変化して現在に継承されています。
また、祭りという名の新しい文化創造もあります。人々が、その心の深奥に潜む不安、願い、恐れ、そして感謝等の心象を一つの形に凝縮したものが伝統祭りなら、商店街活性化、文化振興の祭りは新しい祭りであり、その中間に位置するのが夏祭り(盆踊り)かもしれません。それはそれとして、祭りがコミュニケーションを復活させ、新しい地域づくりの契機となるならば、祭りの副次的効果ということができます。ただ、企画運営に携わる役員の皆さんのご苦労は、天候から事故防止まで大変なものがあると思います。そして、宴の後始末となると、そのお骨折りに頭が下がりますが、多くの方々の笑顔を支えとしてこれからも頑張っていただきたいと思います。
10月は市民手づくりの万燈まつり。たくさんの方々のご参加をお待ちしています。
第48話 ダイオキシンと野焼き文化 平成9年8月1日
今、有害物質ダイオキシン類の発生が、大きな社会問題になっています。ダイオキシンはベトナム戦争で散布された枯葉剤によって、発がん性、催奇形性が指摘され、実際に多くの被害者が発生して地上最大の猛毒物質として恐れられています。
ダイオキシンは自然界には存在せず、化学物質の燃焼過程で発生することが分かっています。特に一般廃棄物(家庭ごみ)、産業廃棄物の焼却が大きな発生原因ということで、炉の改善、焼却中止が求められている事例も多くあります。
ドイツのように、草木くず等は腐らせて土に返すという基本理念を持っている国は、一切焼却処分はしていません。日本人は農耕民族であり、焼き畑農業の伝統から稲わら、草木等燃えるものはなんでも焼却するという文化を持っています。
焼いて煙として自然界に返すのか、腐らせて土に返すのかの違いでありますが、化学製品が多くなってきた現在では、焼却処分は見直しが必要な時代になりました。基本的には、ごみを焼かない、ごみを減らすという生活習慣を構築しない限り、人類に快適な自然環境は保障されないということです。
第47話 ムツゴロウ論争 平成9年7月1日
有明海の代表的生物の一種であるムツゴロウをめぐって、論争が起きています。諌早湾の干拓事業が、潮受け堤防完成の段階でその必要性が論じられ、干拓によつて犠牲となる干潟の住人(?)を代表するムツゴロウを守れという運動になっています。
この干拓事業は、当初の優良農地造成からさらに防災目的も併せ持つ事業と位置付けられ、面積も約三分の一に縮小されたようです。有明海は火山灰の影響で干潟ができやすく、このため沿岸の人々は長い間、高潮、洪水に苦しめられています。干拓によって失われる干潟は全体の7%だそうです。一方、ムツゴロウはその姿態、行動が愛くるしく、話題性を持った生物ですが、別に絶滅寸前の希少種ということでもなく、人間の食糧になっています。そんなことから、ムツゴロウが大事か、人間が大事かなどという感情的議論も聞かれます。
干潟は各種生物のほか、渡り鳥の休憩、越冬地にもなっており、全国規模では干拓によつて、戦前との比較では35%が失われているといわれています。世界の各地で、自然破壊による影響が起きている今こそ、情緒に流された議論でなく、人間と自然との共生の視点から百年、二百年後を見据えた論争をすべきだと思います。
第46話 春よ、ありがとう 平成9年6月1日
この原稿は5月2日に書いています。今日は、八十八夜です。市役所前では、茶業関係者による八十八夜の新茶まつりが好天に恵まれて、盛大に開かれました。
5月5日は立夏。今年の自然は順調で、桜も早目に開花し、適度な降雨は新緑をより一層美しいものにしました。お茶も、一時寒さと乾燥で心配されましたが、大きな被害もなく、茶葉も伸びているようです。万物がその恵みを享受できた平成9年の春は、横綱級にランクされる春ではなかったかと思います。ただ、今年の春が正常かどうかは別として、入間市で自然が一番輝くときは春、人が一番輝くときは秋(万燈まつり)だと思っています。いずれにしても、人間の生活リズムは、自然の循環と共に刻まれることが、悠久の原理であり、生を実感できるときであります。
昔の時間制度の一つである天保暦では、日の出の時間を明け六ツと称して昼がスタートし、日の入りの時間を暮れ六ツとして夜に入るのは、誠に合理的な制度でありました。喧騒の中で、時に自然を友とすることも必要です。春よ、ありがとうとエールを送って夏を迎えませんか。
第45話 縄文に学ぶ 平成9年5月1日
入間市でも、縄文時代の遺構、遺物が数多く発掘されています。縄文の人々(約一万年間活動)は、狩猟採集の民として、家族中心の小グループで生活し、食糧を求めてその住居を移動するというのが定説で、縄文時代は文化の停滞の時代ともいわれていました。しかし、その後、数々の遺跡等の発掘が続いて、それらの定説は覆され、縄文人の生活文化は、その改革の歩みはゆったりしているものの、確実に高度化されていたことが解明されつつあります。特に青森県の三内丸山遺跡は、集落の大ささはもちろんのこと、生活様式、遺物等、当時の縄文文化の充実、発展ぶりを立証する遺跡として注目されています。
豊かな自然を求めてその生活の向上を図りつつも、欲してむさぼらず、自然を畏敬し、自然と調和しながら生きた縄文人の基本的生活理念は、われわれに多くのことを教えてくれます。そして、その縄文文化も農耕を中心とする弥生文化にのみ込まれ、自然収奪、争いの時代となって現代に至ります。この間わずか二~三千年。昔から、命あっての物種という諺がありますが、命より金が大事の現世では、縄文人の教訓は馬の耳に念仏なのかも知れません。
第44話 情報化社会の反省 平成9年4月1日
日本はハンコ(印鑑)社会といわれています。事実、ほとんどの重要書類は署名押印が求められます。長い間の慣習、伝統によって培われたハンコ社会は簡単に崩れるわけではありませんが、国際化、高度情報化の中で、その必要性は薄れています。そのこととは別の問題として、最近コンピューターやソフトウェアの発達により、社会的重要事項が機械操作により処理できるようになりました。インターネットの普及によって、居ながらにして世界の最新情報をキャッチし、欲しいものを手に入れ、代金決済は電子マネーでなどということが現実の姿になりつつあります。便利な世の中と呼ぶかどうかは別として、命令どおりに動く機械は、命令者である人間の間違いをそのまま伝えることになります。先日も市役所で、コンピューターのチェックミスによって多くの市民の皆さんにご迷惑をおかけし、おわびしたところですが、どんなに機械が高度化しても、それを操作するのは人間であることを忘れてはなりません。どんなに情報化が進んでも、口角沫を飛ばし、ハンコで相手を確認する非能率社会も大切にしなければならないと思います。
第43話 衣食足りて 平成9年3月1日
人を尊敬し、思いやりを持ちつつ、ゆとりある生活を営むためには、衣と食が満たされることが大切であると言われています。中国の古典「管子」(中国春秋時代の思想家、管仲の言行録)に、「衣食足りて礼節を知る」とあります。
日本社会は、衣・食ともに有り余る状態にあると言っても過言ではありません。管仲の思想からすれば、こんな国に礼節をわきまえない輩が存在することなど、考えられないということでしょう。しかし、最高学府に学び、行政の最高位を極めた人間が、「福祉」を悪用して不正を働き、国会議員が詐欺の疑いで逮捕されるなどという事件が起きると、「衣食足りても不正をなす」人間の業を思います。
もっとも管仲の言葉の真意は、政治の要締(重要な点)は、国民のゆとりある生活にあるということだと言われています。政治のありさまを諭した言葉ですが、物の豊かな時代におけるゆとりをどのように理解するかは、難しい間題であります。一つだけ言い得ることは、物欲は無限であり、我慢を知らない限り、常に不満と同居を余儀なくされるということではないでしょうか。
第42話 牛歩 平成9年2月1日
遅ればせながら、新年のごあいさつを申し上げます。今年も歩キ目デスをよろしくお願いいたします。私も二期目初の新春を、元気で迎えることができました。今年も頑張りますので、ご指導をお願いいたします。日本は戦後の50年間、先進国に追いつけ、追い越せを合言葉に、ひたすら富を求めて、ひた走ってきました。その結果は、バブルの崩壊という大きな壁に突き当たり、その進路を見失って右往、左往しているのが現在の姿ではないかと思います。土地が投機の対象となり、絵画等の芸術作品も巻き込んで、一億総不動産屋のエネルギーが異常爆発したのですから、そのショックが大きいのも当然です。誰もが不安を感じながら、人が走るから自分も走ったその結果を、私たちは決して忘れてはならないと思います。しかし、景気低迷が続くと、過去50年を成功事例ととらえ、バブルを懐かしむ声も聞こえてきます。
さて、今年のえとは「うし」、えと占いによれば、若者がしっかりと物事を把握して前進する年と読む人もおります。私たちは過去50年の繁栄の中で、得た富みより数倍の価値のあるものを失ったことを反省し、牛の歩みのようにゆったりと力強く進むことを考えることが必要ではないでしょうか。
第41話 市制施行30周年 平成8年11月1日
昭和41年11月1日、人口四万六、二三四人で、入間市は誕生しました。県内43市中25番目の市制ですが、現在人口は一四万五、二五○人と、県内13番目の規模となり、文字通り中堅都市として発展しています。昭和41年といえば、東海道新幹線の人気が高まり、東京オリンピック成功の余韻も残って、所得倍増の夢が大きく膨らみつつあった時代です。しかし、自治体の実態は、無い無い尽くしの中で悪戦苦闘を続けた時代でもありました。先輩方が、そうした厳しさの中で、大きな夢と希望を実現すべく市制への決断をしましたが、その道程は決して平たんなものではありませんでした。遅れる環境整備に高まる市民の不満、増え続ける人口対策は、一年に小・中学校3校を建設せざるを得ないという事態も生じました。
しかし、今、この30年を振り返る時、心の豊かさが求められる時代の到来とともに、開発を適度に抑え、豊かな自然を残しつつ街づくりに取り組んだ先人の先見性が、高く評価されるものと思います。私は、この緑のバトン、安らぎのバトンをしっかり次代に引き継ぎたいと思っています。
第40話 秋祭り 平成8年10月1日
10月は収穫の季節、そして秋祭りの季節です。日本民族の主要産業は農業であったことから、祭りも稲作を中心として行われたようです。
春の苗代作りから、田植え祭り、草取りなどの作業を終えて、秋の収穫を迎えます。激しい収穫に向けた労働が終わった後の収穫祭は、自然(造物主)への感謝と、事を成し遂げた後の虚脱感が複雑に絡み合って、華やかな中にも哀調を帯びて、心にしみ込みます。人々の収穫の営みは、自然との調和によって密度の濃いものになることを実感しながら、苦しみ、悲しみに耐えて長い間続けられてきました。そして、それらの困難を克服できたのは、より豊かな収穫への期待感ではなかったかと思います。
入間市の収穫祭は、今月26日、27日の両日行われる万橙まつりです。今年は市制施行30周年を記念して、より盛大に開催するための諸準備が進められています。この祭りは、市民の確実な歩みを年に一度、お互いに確認し、未来のまちづくりを語り合う場であります。
時代がどのように変わっても、自然の恵みの限りない大きさと、収穫の喜びを知るためのライフスタイルは、継続したいものと思います。
第39話 住民投票 平成8年9月1日
地方分権が叫ばれる昨今、自治体をめぐるニュースが数多く報じられています。
大変次元の低い問題から、地方自治と国政のかかわりに及ぶ問題まで多様です。特に、基地問題や原子力発電という国の政策に対する地方自治体の対応が議論される中で、8月4日、新潟県巻町の原子力発電所建設の是非を問う住民投票は大きな関心を呼び、8月5日付の新聞各紙は一面トップで、「巻原発ノー」「過半数は反対」と大見出しで報じていました。このような問題での住民投票は、その結果について法的拘束力はありませんが、住民意思の確認という点で、重みをもって受け止められるのは当然です。地球上に、絶対安全という場所はありません。反面、安全と言いながら、事故が続く原発に対して、地域住民が不安感を持つのもやむを得ないことです。ひっ迫する電力需要の対策が見出せない現在、原発ノーを貫くとすれば、一方において国民は、電力不足という不便さを受け入れる覚悟が必要です。
総論賛成、各論反対が容認される日本の風土の中で、果たすべき自治体の責務は、より一歩、開かれた市政、対話の市政推進に努めることであると考えます。
第38話 人口論 平成8年8月1日
人類が生存する限り、常に議論されるのが人口問題です。
人口の問題は、主として経済との関係、言い換えれば、増え続ける人口をいかに扶養していくかの視点から論じられました。これとは別の視点から理論を展開したのが、イギリスの経済学者マルサスです。今から約200年前、彼は「人口論」の中で、幾何級数的(注)に増え続ける人口と、算術的にしか増加しない食糧との不均衡が、大きな人口問題であると指摘しました。しかし、産業革命等の経済改革によって人類の生活は保障され、マルサスの主張は批判されました。
今、世界の人口は57億人といわれていますが、2050年には途上国を中心に百億人と予測され、マルサスが予言した通り、探刻な食糧難になることが懸念されています。一方、先進国の人口は減少傾向で、例えば日本(先進国とすることに異論もあるが)は、2006年の1億2700万人をピークに減少を続け、2090年には6100万人程度になるものと予測されています。
右肩下がりの日本(特殊生産率史上最低1.43)も、拡大の美学から脱却し、人口減少対策を真剣に検討する時が来たように思います。
(注)幾可級数的・・・・加速度的
第37話 遊び心 平成8年7月1日
シルクハットにアンブレラは、イギリス紳士の定番スタイルです。ちょっときざな感じもありますが、重厚な街並みに映えて粋にも思えます。ところで、このシルクハットには面白いエピソードがあるそうです。イギリスでは、古くから帽子税がかけられていました。多分、帽子愛用者が多いのに目をつけた政府の、抜け目のない政策で、いつの時代も税源確保には苦労していたようです。ところが、今から約200年前、この帽子税が一挙に3倍になりました。この増税に、文字通り頭にきたジョン・ヘザリントンという帽子屋さんが、少しの遊び心と抗議の意味も込めて、上部を延ばした帽子を作り、かぶって歩いたところ、大変な人気を博しました。災いを転じて福となすならぬ、税金を転じてシルクハットとなしたこの発想は、頑固、反骨、それでいて遊び心を忘れない、ジョン・ブルの面目躍如といったエピソードです。
世の中、苦労の種は尽きませんが、思うにまかせぬ世の柵を断ち切って、時に遊び心で洒落のめすことも、健康で生きる秘けつかも知れません。
もっとも、税金へのウラミ、ツラミは別でしょうが。
第36話 旬 平成8年6月1日
自然の摂理は、人知をはるかに超えます。科学は多くの自然界の不思議を解明し、豊かな生活を演出しています。しかしそれは、深遠な宇宙の営みからみれば、ささやかな人間の浅知恵といえなくもありません。そして、科学が正しく機能していれば、自然界にとっても好ましいものとして評価されますが、未来への影響は、バラ色の展開を期待できないものもあるようです。例えば、遺伝子工学の発達は、生命構成の不思議、難病克服の説明をしようとしていますが、同時に生命の尊厳をも脅かしかねない問題を内蔵しています。
そして、数々の技術開発によって、我々は食べたいものをいつでも口にすることができます。味は別として。
それぞれの個体が最高に輝く時を「旬」と呼びますが、現代は旬を見失いつつある時代ともいえましょう。「自然の旬」は、ホウレンソウにほかの時期の2倍も3倍もの栄養素を蓄積するといいます。ホウレンソウは冬食べてこそ美味、これも自然の摂理でしょう。旬は年に一度ですが。
行政は、常に旬が求められています。旬とはめりはりをつけることと心得て、まちづくりに励みます。
今年は市制施行30周年。
第35話 音 平成8年5月1日
3月1日号の市報で「残したい日本の音風景100選」の募集記事を目にされた方も多いと思います。
空気のある所音ありと言えばそれまでですが、風、せせらぎのような自然音、朝餉の支度に聞ける生活音、ピッピッに代表される人工音等、音は人類の発生と共に、私たちの生活と絶対に切り離せない存在となっています。時には、聞くというより、肌で感じることもあります。音は聞く人の心の状態、風景等とも連動して、快い音、騒がしい音と感じ方も違ってくるようです。とはいうものの、ウグイスの鳴き声を騒音と感じる女子大生がいるのには驚きました(NHKテレビより)。その理由が初めて聞いたからといわれると、音の質の議論ならば、若干の理解もできますが、ウグイスを知らなかったことには驚きを禁じ得ません。そして、電子音を快い音とする感覚に時代の流れをも感じます。しかし、時代は変わっても、人々が音への感性を磨くことによって快い音を聞き分け、保存し、心の糧とすることができるように思います。
今だからこそ、音再発見、人間再発見としたいものです。いい音、探してください。
第34話 汗する喜び 平成8年4月1日
社会は夜型に移行して、レストラン、スーパー等の24時間営業は珍しくありません。テレビも同様です。オイルショック時の、ネオンサイン、深夜放送等の自粛は、まるでウソだったような気がします。そしてバブルに酔いしれ、住専処理で百家争鳴の日本は、これからどうなっていくのでしょうか。そんな人間界の騒ぎをよそに、自然は律義に時を刻んでいます。
日課の早朝散歩、3月4日午前6時頃のことでした。近くで鴬の鳴き声、一瞬、テープか鳥かご、とも思いましたが、若葉マークの鳴き声に、静かに近寄って目を凝らすと、垣根の中に鴬を見ました。汗をふきつつ、しばらく至福の時を過ごしました。たかが鳥の一声ではありましたが、心の安らぎを覚えるひとときでありました。
人それぞれの生き方の中で、小さな喜びを求める努力は、大切なものであると思います。額に汗して得る満足は、何物にも替え難い宝物と思います。汗することを忘れて満足を求める時、そこに大さな落とし穴が待っているかも知れません。たまには、早寝早起き病知らずを実践してみませんか。
第33話 宇宙の目を足元へ 平成8年3月1日
今年の冬は大変寒く、立春過ぎても春は名のみの状態です。雨も降らず、飲料水は勿論、茶樹の生育にも悪影響が心配されます。ここ10年来、暖冬傾向で、このまま温暖化が進むのかと思いましたが、自然の営みはそれ程狂っていないようにも思われます。しかし、地球全体の気象状況は、大寒波、大水害、干ばつ等と自然災害の被害規模が大きくなっています。このまま二酸化炭素が増加すれば、20年後には、地球の平均気温は1度近く上昇するといわれています。関東地方の気温が沖縄地方と同じようになったとしたら、人間を含めてすべての生態系が狂ってしまうでしょう。
大宮市出身の若田さんが、スペースシャトル「エンデバー」に乗り組み、緻密な作業を成功させて、4年後にも予定されている宇宙ステーションの組み立てが確実になったといわれています。そして、ここから地球の環境破壊にも目を光らせるとのことですが、やはり問題は、地球上に住む者が、地球環境をどう守ろうとするのかが問われており、足元をしっかり見詰め直して、まさに地球規模で考え、地域からの行動が必要だと思います。
第32話 初日の出 平成8年2月1日
平成8年元旦。加治丘陵桜山展望台の初日の出は、午前6時52分でした。真っ赤に燃えたぎるマグマの活力を全身に受けて、たくさんの市民の方々と、入間市の発展と今年1年の平穏を祈りました。日々繰り返される自然の営みの中で、特別の感慨を込めて迎える朝、元日は穏やかなものでした。
目まぐるしく変わりゆく人の営みは、時としてその感性を失わせ、心の荒廃も招いているような気がします。時間の拘束から逃れられない現代人の生活に、日や月と対話するゆとりを持つことは大切なことと思います。ゆとり、やすらぎのある社会を構築するためには、その構成員自らの変革も必要であります。もっとも、俳人高浜虚子のように「去年今年貰く棒の如きもの」として、大晦日も元日も単なる時のつながりに過ぎないと、達観される方もおりましよう。
こんなことを記しながら、私自身、5分の時の争いに憂き身をやつしておりますが、反省も必要かなと考えています。
平成8年が、市民の皆様にとって幸多き年でありますように、そして今年も歩キ目デスをよろしく。
第31話 亥年の終わり 激変の一年 平成7年12月1日
今年も余すところ一カ月足らず、振り返ると実にさまざまなことが起こりました。いまだかつて経験したことのない出来事が連続して発生した一年でした。
これらのことを冷静に考えるならば、予測し得ないことばかりではありません。いずれにせよ、あらゆる対策を講じながら、思うように回復しない景気、連立政権なるが故の不透明政治、大震災、オウム、けん銃、米軍兵士暴行事件等、誰もが忌み嫌うような年であったことは間違いありません。まさに激変の一年ということができましょう。
今、私たちはこれらのことを一過性の出来事とすることなく、日本人への警鐘として受け止めることが求められていると思います。幸い世論の盛り上がりによって、一つ一つの問題への対策が迅速・真剣に議論され、改善の方向が示されつつあることは、心強いことであります。「禍を転じて福となす」特技を持つ日本人は、平成7年(1995年)を21世紀への重要なステップと位置づけ、今年体験したことを、21世紀を生きる者のために生かさなければなりません。日本人の一つの特技が、「喉元過ざれば熱さを忘れる」であることも忘れることなく。
どうぞよいお年を。
第30話 巨大石像モアイの推理 平成7年11月1日
南太平洋に浮かぶイースター島。この小さな火山島にモアイと呼ばれる巨大な石像があります。その数およそ300体、像は海を背にして、海岸から内陸部に向けて建てられています。重量は3トンから10トン(中には50トン)、高さは3メートルから10メートルの巨大な石像です。ナゾの多い石像で、制作者の定説はなく、祖先崇拝を目的として、13世紀前後に最も盛んに造られていたのではないかといわれています。
海岸から少し離れた山から石を切り出し、そこで刻み海岸に運んだと思われますが、重機のなかった時代に3~50トンもの石像をどんな方法で運んだのでしょうか。NHKテレビでこんな推理をしていました。当時、この島は、緑が豊富で巨木が生い茂っていたことが推測されることから、これらの樹木を「ころ」と「てこ」として利用し、木を切りつくした時、島は荒れ果て人の住めない島になったのではないかと。生存の場まで失って造り続けたモアイ像。
今、人類は身勝手な論理によって、この地球に比較できない規模で、モアイの悲劇を再現しようとしているのでしょうか。先人に学ぶことは多くあります。
第29話 防災訓練 仏作って 平成7年10月1日
8月27日、日曜日、晴れ、気温36度超、酷暑。
この暑さの中で、市地域合同防災訓練が、約4千人の市民の参加のもとに行われました。今年は航空自衛隊入間基地からも、ヘリによる災害収況の調査、炊飯車による炊き出し等の訓練に参加いただきました。阪神大震災の教訓から、自衛隊との連携強化、非常事態に備えての訓練を積み重ねたいと考えています。
今回の訓練によって、市内ほぼ全域に114の自主防災組織が設立され、防災訓練も終了しました。みぞうの大震災は、日頃の防災対策、近隣の助け合いの大切さを教えてくれました。災害はいつ、どこで、どんな形で起こるかわかりません。これからは、せっかく作った仏(自主防災組織)に、魂を入れていかなければなりません。自主防災組織を維持し、訓練を続けていくためには、市民、市職員等関係者すべてが真剣に議論し、実行していく必要があります。自らの命は自らの力で守ることを基本に、行政も適確な対策を論じることによって、被害を最小限に食い止めることができると思います。
災害は、忘れない間にやって来る時代になっています。
第28話 下がる投票率 平成7年9月1日
7月23日、参議院議員通常選挙が行われました。その重要性が指摘されていた選挙としては、投票率が低く、全国的には44.56%(過去最低)、入間市では41.37%(前回比3.6%増)ということでした。投票率の低下現象は日本だけでなく、相当多くの国で、この問題は悩みの種になっているようです。ある国では棄権者に罰金を科すとか、一定期間選挙権をはく奪する等といった荒っぼい対策をとっている所もあるようです。ここまでするということは、代議制(議会制)民主主義国家にとっては、投票率の低下は、体制破壊にもつながりかねない深刻な事態と受け止めているからでありましょう。
評価すべき政策がない、信頼するに足る人物がいない、誰がやっても同じだから投票しても無意味等といって棄権することは、決して政治をよくすることにはなりません。選挙権は、個人に与えられた権利だから、棄権しようと自分の勝手、では、この社会が成り立たないと思います。次善の選択によってでも、根気強く自分の権利を行使することが、よりよい政治実現のための近道であることを訴えたいと思います。
第27話 弥次郎兵衛国家 平成7年8月1日
今年は戦後50年。振り返ってみれば、廃虚から立ち上がった日本が、わずか50年という短日月のうちに、こんな豊かな国を築き上げたということは、日本民族の底力、優秀さを証明したものと言えましょう。 政治をみても、保守・革新のせめぎ合いの中で、自民党単独政権に落ち着き、問題を抱えながらも先進国の仲間入りを果たしました。オイルショック、為替ショックを克服し、消費税旋風で社会党が台頭したものの、大きな政治の変革はありませんでした。しかし、金権政治の打破を目指した政治改革の議論の中で、保守分裂が起きたことは、政策論争に名を借りた権力闘争の印象を国民に与えました。その結果が新党ブームとなり、支持基盤の薄い連立政権は、政党不信の一因をなしています。さして政策の異ならない政党が分立することは(政策の異なる政党が連立を組むことも)、国政を混乱させ、国力の衰退につながりかねません。政党は、こうした有権者の疑問に適確な答えを出さないと、弥次郎兵衛国家といえども、有権者の反乱は続くでしょう。無党派層の増大を食い止め、バランス感覚を発揮してもらえるような国政の運営を強く期待します。
第26話 お犬様 平成7年7月1日
相変わらずペットブームは続いているようです。人間と動物が理解し合い、信頼関係を深めることは、大変結構なことです。しかし、地球上で、人間が握手をすることのできた唯一の動物は犬だと言われています。人間の忠実なパートナーとして、古くから共同生活をし、人間を助けています。
徳川五代将軍綱吉公は名君と言われていましたが、その晩年は、「生類あわれみの令」、特に犬を愛護し過ぎて、多くの庶民から犬公方と非難されました。
先日のある新聞の記事によると、飼い犬の“権勢症候群”が「ヒトと動物の関係学会」で指摘されているそうです。群生本能を持つ犬は、常に自分の立場を意識しながら行動するそうです。犬の散歩で、飼い主が犬に引きずられている状態は、まさに犬にとっては権勢を誇示し、得意絶頂にある姿だそうです。こうした犬の生態を知らずに、ただかわいがることは、状況によっては他者に危害を加え、幼児等を死に至らしめることもあるのです。
犬もしょせん動物。犬の落とし物を処理することも大切ですが、しつけを厳しくして犬に錯覚を与えないことが必要ではないでしょうか。犬公方が増えることは、決して良いことではありません。
第25話 政治 平成7年6月1日
「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次世代のことを考える」とは、19世紀のアメリカの神学者ジエイムス・F・クラークの言葉と聞きました。時代は変わっても、この言葉は生き続けています。政治に携わる者にとって選挙の洗礼を避けることはできません。そして、選挙に勝つことを考えると、選挙民にとって魅力的な政策(公約)を並べ、より多くの支持を得ようとすることを否定することはできません。目先の利害に追われ、政策が空手形に終わった時、「政治屋」の烙印を押され、政冶に対する不信感を醸成することは、過去の事実が証明しています。とは言いながら、次世代のこと(ビジョン)のみによって政治の信頼性を確得することも、難しい問題であります。
ヨーロッパの特産物の一つに、オリーブ油がありますが、「オリーブの木は孫のために植える」と言う言葉があります。オリーブの実が収穫できるようになるのに30年はかかることから、この言葉があるようです。 政治もまた、孫のために行わなければと思います。足元も見詰めながら。
第24話 入間の細道 平成7年5月1日
今年も、はや五月。春は萌え、まさに山笑う季節になりました。
「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」とは奥の細道ですが、自然の姿は、人間の営みを写す鏡だと思います。芭蕉が自然(月日)を百代の過客としたその感性は、自然を美しく不変と考え、さまよう旅人を温かく包む存在ととらえていたのではないでしょうか。変わり果てた自然の姿、さまよう旅人のごう慢な姿を見て、芭焦はどんな感懐を持つのでしょうか。わずか300年余りの時の移ろいの中で、主客を転じた自然と人間の変化に驚嘆することと思います。
交通網が整備され、整った宿泊施設が用意された深山幽谷は、芭蕉の旅した奥の細道ではありません。それは当たり前としても、時に風雅の心を自然に向けることによって、改めて自然の豊かさ、温かさを認識することも必要と思います。破壊の苦しみを語ることなく、その恵みを与え続ける自然に、私たちはもっと関心を持つべきではないでしょうか。
入間市にも、わずかではありますが、自然は残されています。入間の細道を夢見つつ、自然との対話行政を進めたいと思います。
第23話 ”備えあれば・・・” 平成7年4月1日
最近、市民の方から「入間市には活断層はあるのですか」という質問を受けます。現在までの調査では、市内に活断層は(断層も含めて)ない、ということです。ただ、入間市に隣接する地域には、名栗断層、立川断層があることがわかっています。これらは、いずれも活断層で、いつかの時点では動くだろうと言われていますが、専門家の一致した見解として、近い将来(数百年から数千年単位)動く可能性は少ないようです。しかし、地震は直下型だけでなく、海洋型による横揺れ中心の大地震もあるわけですから、絶対油断はできません。
今、阪神・淡路大震災のような大災害を目の当たりにしてさまざまな角度から、なぜ、大惨事になったのかの議論がなされています。正確な情報、冷静な分析による防災対策の樹立が必要であります。入間市の防災計画は、組織、防災、訓練への取り組み、備蓄品、避難場所、防火水槽、水の問題等、積極的な取り組みをしてきたと考えています。しかし、現実にあのような大災害が発生した現在、多くの改善、反省すべき点が提起されました。いたずらに危機意識を持つのではなく、現実的に何が一番必要なことなのかを考えながら、災害への備えをしたいと思います。
第22話 天災は 平成7年3月1日
「天災は忘れた頃にやって来る」とは、夏目漱石の弟子でもある、寺田寅彦博士の言葉といわれています。博士はまた、日本は自然の恵みが豊かな国であり、自然災害を防ぐ手段がとられるならば、世界一住み良い国になる、という意味のことを言われています。今から60年も昔、日本の素晴らしさ、危険を抱えた日本、目指すべき日本の姿を看破された博士の見識に、ただ驚くばかりです。
1月17日未明の兵庫県南部地震は、阪神地区、特に神戸市を中心に、甚大な被害をもたらしました。犠牲となられた多くの方々の御霊を安ずる道はただ一つ、被害者の一日も早い救援と、二度とあのような惨禍を招くことのない街づくりであると思います。
地震列島といわれる日本では、地震を避けることはできません。最少の被害で食い止められる防災計画の樹立が必要であり、市でも、よりきめの細かい対策を立てるよう、防災計画の見直しを指示しました。寺田博士の言う自然災害を防ぐ手段とは、自然の偉大さ、恐ろしさを再認識し、自然を大切にした街づくりであると思っています。
第21話 選挙 平成7年2月1日
主権在民は、民主主義の根本理念であり、それを実現するための重要な手段の一つが「選挙」です。「選挙」で選ばれた者が、主権者に代わって政治を行うという代議制民主主義政治が、日本の政治制度です。
なぜ、いまさら小学生でも理解していることを申し上げるかと言えば、主権者の政治離れ、言い換えれば、棄権者の増加を憂えるからです。最近行われた各種選挙の投票率をみても、おおむね40%前後で、50%を超える投票率は、数えるほどしかありません。主権者が、自らの権利を放棄するという、民主主義政治の根幹を揺るがすような傾向は、理由はいろいろあるにせよ、主権者自らの意思によって改めていかなければなりません。政治に期待できない、腐敗した政治に嫌気がさすと言っても、現状が改善されるわけではなく、自分自身の力によってこれを改革する以外に方法はないのです。
今年は4月に県議会議員選挙、7月に参議院議員選挙があります。権利を正しく、確実に行使するよう、心掛けたいと思います。
第20話 助け合い 平成6年12月1日
今年も残すところあとわずかとなりました。光陰矢のごとしといいますが、月日はあっという間に過ぎ去ります。今年も、実にさまざまなことがありました。米不足の大騒動に明け、大豊作のニュースで終わろうとしています。この間、政治は激動を続け、経済もゆるやかな登り坂を、あえぎながら上っているという状況です。事件、事故も数多く発生しました。こうした数々の出来事を思うとき、過去に学ぶことの大切さが説かれながら、実際には、喉元過ぎれば熱さを忘れるのとおり、同じような悲劇が繰り返されることは、残念なことです。その反面、漫然と過去を踏襲することに、マンネリ化があります。先日、赤い羽根共同募金が、ほとんど増加していないと報道されました。昭和22年に始まったこの募金も、47年を経過してマンネリ化し、その役割に対する認識が薄れてきていることも一因だと思います。そして物の豊かさに心を奪われ、過去への反省がとかく軽視されがちな風潮は、人々の心の中から「善意」、「思いやり」の心を失わせているのかも知れません。
今年も歳末助け合いが始まっています。よろしくご協力ください。
第19話 博物館 平成6年11月1日
「遺産」の中には、数々のドラマが隠されています。個人的遺産、社会的遺産等、歴史的・文化的・自然的価値を持つ遺産は、自然と生物の活動の記録として数多く存在します。
埋もれたままのもの、発掘されて脚光を浴びるもの、捨てられるものなどさまざまです。
私たちの足跡も、後世には遺産として評価を受けるかも知れません。遺産は、過去、現在、未来をつなぐビッグアーチだと思います。
近年、文化的・社会的遺産に対する認識、評価が高まっていることは誠に結構なことであります。先人たちの生き様を学び、次世代に伝承する責務が、現在を生きる者に課されています。小さな土器が、大きな歴史を語ることが間々あります。
入間市に生きた縄文人、弥生人から近世に至るまでの人々の暮らしを記録、保存し、そして市民の交流、文化活動の場として、今月7日「博物館アリット」がオープンします。広い館庭を持ち、お茶をはじめ数々の展示物を揃え、市民ギャラリーも備えて、皆様のご利用をお待ちしています。
縄文時代に思いをはせ、一万人が「第九」を歌う博物館になって欲しいと願っています。
第18話 入間万燈まつり 平成6年10月1日
収穫の喜びを分かち合う秋、まつり囃子が郷愁を誘う季節になりました。そして、まつりと聞くと心も弾みます。長い歴史と伝統に育まれ、地域の人々に伝承されるまつりから、「ムラおこし」の新しいまつりまで、その形は様々ですが、人々の祈り、願い、喜び等を表現する場としてのまつりは、人間の誰もが望んでいる平和の象徴と言えましょう。
入間市にも多くの伝統的まつり、新しいまつりがありますが、そんな中に入間万燈まつりがあります。今年は、今月の29日、30日の2日間にわたり、賑やかに繰り広げられます。今から16年前、新旧住民の交流の場として企画され、多くの市民のご参加をいただきながら年々発展し、入間の一大まつりとして定着しました。このまつりの特徴は、企画の段階から当日の運営に至るまで、市民と行政が一体となって取り組み、出店者も含めて文字どおり“手づくりのまつり”と呼ぶにふさわしいイベントです。両日の人出は十数万を数え、全市民がこのまつりに集まるといっても過言ではありません。今年も(は)ぜひおでかけください。
第17話 爽秋 平成6年9月1日
気象庁の長期予報では、今年の夏は、冷夏の見込みでありました。しかし、その予報は見事にはずれ、梅雨もアッと言う間にあけて、連日の熱帯夜を伴う異常な暑さで夏がスタートしました。猛暑、酷暑、炎暑、炎熱、灼熱等どんな形容詞でもピツタリの暑い夏です。
今から49年前、昭和20年も非常に暑い夏であったと、子供心にも記憶しています。しかし、その時聞いた蝉しぐれは、現在ほとんど聞くことはできません。生活は豊かになり、当時と比ぶべくもありませんが、豊か過ぎることへの不安も感じます。人々は、戦争のない平和な生活を求め、それが実現しつつある反面、異常な自然現象、豊かさの総括としての廃棄物の増加等、平穏な暮らしを脅かしかねない危険な徴候も現れています。一つ一つその危険な芽を摘んでいかなければなりません。もし、その選択を誤ると、秋も冬もない日本が出現するかもしれません。
木陰の涼風は、秋を感じさせます。芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋等々、猛暑の後の秋は格別です。食欲の秋でもあります。食べ過ぎにご注意を。
第16話 生涯学習 平成6年8月1日
人生80年時代の到来によって、長い余生をいかに豊かに過ごすべきかが議論されています。生涯学習が叫ばれて、時はたちますが、いまほどより真剣に、より現実的に議論されている時代はないと思います。
生涯学習と聞けば、いまさら勉強でもと言われる方もいるかも知れません。しかし、生涯学習とは堅苦しいものではなく、人生をより楽しく、より豊かに過ごすための方便を、その人なりの方法によって身につけることだと思います。知るは喜びと言われていますが、未知なるものへの挑戦、同じ目的を持った仲間との出会いは、恐らく人生を2倍も、3倍も充実してくれるものと思います。今、公民舘を中心に、多くのグループが生涯学習を実践されています。学ばれる皆さんの顔は輝いています。自ら楽しみ、そして仲間との交わりを大切にする姿が、生涯学習の本質でありましょう。
学ぶということは、その意思さえあれば、難しいことではないと思います。今、市では生涯学習のトータルプランを立案中です。より学びやすい環境整備のために努力しますので、よろしくお願いします。
第15話 男女同権 平成6年7月1日
先日、アメリカの女子学生が日本の大学野球の一員になる希望を持って、デモンストレーションに来日したと報じられました。
社会環境、労働環境などの変革によって、従来、男子専料と考えられていた分野への女性進出が、活発に行われるようになりました。男女同権社会が構築され、通称「男女雇用機会均等法」が施行されて、名目的には女性の社会進出が保証されたということが出来ましょう。しかし、現実には女性差別、蔑視と思われる事例が数多く発生し、その反面、自然の摂理や習俗に基づく男女(雌雄)の個としての差まで無視するような同権論も、一考を要するものと思います。そしてこの問題は、社会的コンセンサスと個人意識にギャップのあることを念頭に置きながら論ずる必要があると思います。男女同権の保証された社会は、男女がお互いを認め合うことによって成立します。入間市では女性問題協議会を設置し、今、委員の皆さんによって女性に係るいろいろな問題についての熱心な論議が続けられています。その結論を受けて、男女同権社会をより確かなものとするための施策を樹立したいと思っています。
第14話 きれいな街 平成6年6月1日
今月5日は市民清掃デーです。今年で16回を数え、毎年79パーセント以上の世帯に参加いただいております。「税金を納めているのに、なぜこんなことを」という意見も聞きます。しかし、大多数の方々に、税金だけではすべてが賄えないことをご理解いただき、「街の美化は自らの手で」を実践していただいていることは、大変ありがたいことです。こうした皆さんの努力にもかかわらず、一部にはごみの不法投棄、空ビン・空カンのポイ捨て、立て看板の設置など、入間市を傷つけるような行為が後を断たないことは残念でなりません。
新緑の山中に無神経に捨てられたごみを見るとき、捨てた人間の「心の荒廃」を思い、憐れみと憤りを覚えます。そして、歩道に倒れたり、視界を遮る立て看板はPR効果よりも、反発効果の方が大きいのではないでしょうか。ごみのないきれいな街は私たちの心を豊かにし、恵まれた自然をより一層美しく感じさせます。誰かが拾てなければ誰も拾う必要はありません。すべての市民の皆さんが、住んで良かったと実感できる街の要素の一つは「きれいな街」であると思います。
第13話 緑 平成6年5月1日
入間市は今、“緑の海の中”とでも表現したくなるように緑一色です。茶園と平地林、加治丘陵と狭山丘陵を中心とした若葉の波は、人間市の平和な姿を象徴しているように思えます。これらの緑の効用は、金銭換算することは難しいとしても、汚染された大気の浄化(酸素の供給)、人々にやすらぎとゆとりの心を与えるなど、その効果は計り知れずすべての生物の繁栄の根源といえます。もし、この緑がすべて亡くなったとしたら、その時は人類存亡の危機といっても過言ではないでしょう。
そして、その選択のための時間はもうありません。また、100年、200年後を生きる子孫たちの生存権を奪う権利も私たちにはありません。いずれにしても、入間市が砂漠の中の小島になったら大変なことです。
そんな姿にしないため、入間市でも緑の保存のためにさまざまな取り組みをしています。平地林の借り上げと市民の森設置、加治丘陵の保存と利用のための協議と公有地化、そして県事業として狭山丘陵に緑の森博物館設置など、緑を守るための事業を推進しています。
さあ、市内を歩いて入間市の緑を満喫してください。
第12話 再び事故防止 平成6年4月1日
昨年の入間市の交通事故による死者は、10人を数えました。事故防止のための特別対策を実施したのはご承知のとおりですが、今年もすでに3人の尊い命が失われています。交通戦争はまだまだ続いているのです。
誰もが、交通事故を起こそうとして起こすのではない、と言われていますが、本当にそうでしょうか。スピード違反、ムリな追い抜き、信号無視、酒飲み運転、違法駐車など事故誘発要因をみると、意識するかどうかは別として、明らかに事故は起こるべくして起こっていることがよく分かります。他人への思いやりだけでは、交通事故はなくすことはできません。自分自身への思いやり、自分を大切にする気持ちによって防止することができるのだと思います。
世界では、数々の地域紛争によって、た〈さんの犠牲者の発生が報道されています。日本は平和だと言われていますが、年間10,942人が交通戦争によって命を失っています。
この悲惨な状況を、私たちは強く認識することが必要です。
新入生のかわいい姿を街角に見かけます。事故をなくし、平和な入間市をつくりたいと思います。
第11話 市民提案ボックス 平成6年3月1日
「市民本位の市政」を進めるとき、常に求められるのは、「市民参加」の問題です。私も「市民参加の街づくり」を基本理念の一つとして、その在り方について模索を続けています。「市民参加」の形は一定ではなく、臨機応変の対応も大切なことだと思っています。
普通、政策の成立過程は、市長サイドで計画立案、審議会等での討議、成案を議会で審議の上、可決という経過をたどります。この場合の市民参加は、審議会ということになりますが、そのかかわりの少なさ(委員の人選等も含めて)を皮肉って「市長の隠れ蓑」などと批判されることもあります。また、直接的な参加の態様としては、選挙における投票、各種団体を通じての陳情、要望、要請活動をはじめ、市民清掃デーも「きれいな街づくり」への参加ということになりましょう。参加の第一歩は、市民の皆様に、市政に関心を持っていただくことです。そのため、「市民提案ポックス」を制度化しました。たくさんの方々からいろいろなご提案をいただいています。担当では内容分析を行い、少し遅れても必ず回答しています。多数の提案をお寄せください。
第10話 ふれあい朝市 平成6年2月1日
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年も小欄をよろしく。
入間市に「ふれあい朝市」が立っているのをご存じでしょうか。毎月第2・4土曙日の朝8時から10時までの2時間、市民会館前駐車場で開かれています。野菜、お茶、しいたけ、卵、花、繊維製品等、市内生産者の丹精こめた品物が並べられています。
かつて入間市は日光脇往還、青梅・川越道等の伝馬継立の宿継場として栄え、幕末から昭和初期にかけて、穀市、繭市、青物市が毎月3・8の日に立ち、近郷近在から人が集まり、賑わいをみせたと記録されています。くしくもほぼ同じ場所で、文字通り生産者手作りの「朝市」を開くことができました。新鮮で、安くてうまい品物を一刻も早く市民の皆さんにお届けするために、関係者が相談し、昨年12月からスタートしたものです。
この朝市は、ただ、物を買うというだけでなく、消費者と生産者が物作りの楽しさ、苦労を語り合い、地場産業の理解を得る場、そして市政をも語り合う場となったら素晴らしいと思っています。常連さんも増えています。あなたもぜひ一度お立ち寄りください。
第9話 文化その5 平成5年12月1日
雑草という言葉があります。文字通り、ある種の草花を総称した呼び方と、「雑草のような」のように形容詞として使われることもあります。前者は余計もの、不要物の意味が強く、後者は逞しさを表す用語のように思います。そのことはさておき、当たり前のことですが「雑草」という名前の草花はないと思います(私の知る限りでは)。どんな草花にも固有名詞がつけられ、それ相応の役割を担っています。雑草と同じように「野草」も「牧草」も総称でありますが、雑草に比べ一格上の草のように扱われています。これらはすべて、人間にとって有益か否かという視点からの価値判断であって、草花が自然の中でどのような役割を果たしているかの判断が全くなされていないためでしょう。
意味もなく、単に不要物とみなした草花を取り去ることは、農業に生きて来た日本民族の一つの文化の延長線上の行為と思います。そろそろ名もない草花を「雑草」として片付けることなく、「雑草」を見直す文化を創造する時代になると思いますが、いかがでしょうか。
第8話 文化その4 平成5年11月1日
日本人は狩猟、農耕の民であり、自然を大切にしてきた民族と言えましょう。反面、豊か過ぎた自然の中に浸っていたために、近代に至って、水や空気はタダ、自然はどこにでもあるという自然軽視の意識が形成されたのも当然かも知れません。今も面影を残す鎮守の森、これは狩猟採集生活をした縄文人が、森を畏れ、森を敬い、森から与えられた豊かな恵みを感謝した心が森を神聖視し、守り神には必ず森があるという、森林信仰<アニミズム>を継承した形と言えましょう。
古代、森を中心として文化が生まれました。森の神を敬い、人々の魂を鎮めるための数々の祭り、舞い等は文化のルーツと言えるのではないでしょうか。こんな生活をした我々の祖先は、数千年後を生きる者たちのために豊かな森と畑を残し、そして現代人はその尊い遺産を、わずか百年単位で破壊し尽くそうとしています。残り少ない緑は、生きている我々のものではなくて、1000年、2000年後を生きるであろう私たちの子孫のものであります。
私たちも子孫のために、森の文化を残そうではありませんか。
第7話 文化その3 平成5年10月1日
日本の文化は木の文化、破壊の文化と言われています。ヨーロッパの文化は石の文化、保存の文化と言われています。これらの文化の違いは、その風土に大きく影響しているように思います。
日本のように樹木が多く、湿気の強い気候風土の国は、木の利用を中心にして生活文化が発達してきたとしても不思議ではありません。それにひきかえ用材が少なく、乾燥気候のヨーロッパにおいて、石を使った文化が発達したのも当然でありましょう。惜しげもなく使い拾てされる「木」と、保存される「石」。これはそのまま、廃屋として朽ち果てる姿と、廃虚公園として市民に親しまれる姿の違いによく現われています。
文化の違いは別として、そういった日本人の気風が、物を粗末にする生活習慣に係わることが気にかかります。使い捨て製品の横行、自転車の投げ捨て、自動車を始めとするモデルチェンジ製品の増加は、この気風に拍車をかけて異常とも言える状況を作っています。
バブルははじけました。私たちの生活をいま一度見直し、物を大切にすることの意味を考えてみようではありませんか。木の文化はすばらしいと思います。
第6話 文化その2 平成5年9月1日
日本の文化は、囲繞(塀)文化と言われています。農耕民族の歴史を持つ日本人が、その生活基盤を明確にするために、境木もしくは塀などにより、その所有区分を定めたことは、生活の知恵とも言える行為です。
かつて、時の権力者が外敵の侵入を防ぎ、権威の象徴として立派な塀を巡らした風習が時代の変遷とともに、庶民文化として根付き、その合理性故に、囲繞文化として確立したことは素晴らしいことだと思います。一部の例外を除いて、実に見事に塀、垣根に囲まれ、庭木を配した庭のたたずまいは、日本文化の象徴です。
ただ、内と外とを区分し、内への干渉を排除し楽しむことは理解できますが、そのことが外への無関心につながるとすれば、これは単に日本の文化として看過し得ないことです。
昔から旅の恥はかき拾てと言われます。また日本人は、公共物の愛護精神が低い国民と言われています。塀の文化が、個人主義ならぬ利己主義を助長し、道路、山林、公園等をゴミ捨て場にしているとすれば、大変残念なことです。「内」を楽しみ、「外」もきれいな入間市にしたいと思います。
第5話 文化その1 平成5年8月1日
私は、政策の一つとして文化の振興を掲げています。
文化というと、堅若しいもの、難しいものなどというイメージがあります。確かに、文化講演会とか、文化の集いといった催しの中には、一種近寄りがたい雰囲気を持つものもあります。日本人は、言葉にこだわります。語いが豊富で、実に繊細な表現力を持った国民だと思います。ところが、この「文化」という言葉は、あまり詮索することもなく、実に幅広く使われているような気がします。「文化人」、「文化生活」などはその典型的な例と言えましょう。
「文化」を英語では「カルチャー」というのはご存じのとおりです。カルチャーの語源はラテン語の「耕す」です。「文化」は「耕す」ものということになります。とするならば、文化とは本来泥くさいもの、我々の生活を総称した言葉ということができます。文化とは私たちの「生き様」、人の「立ち居振る舞い」そのものと言えます。
今、「物」から「心」への転換が強く指摘されています。「文化」とは「心」と考え、文化の振興とは、心の豊かさを求めるものであると思っています。
第4話 交通事故多発 平成5年7月1日
“11451人”この数字は、昨年1年間の交通事故死亡者数です。関係者の努力によって減少しつつあった交通事敗が、ここ数年増加に転じています。特に、若者とお年寄りの死傷事故が増えていることは、交通安全意識のより一層の徹底が必要なことを物語っています。
入間市は、4月12日「交通事故防止特別対策地域」の指定を受けました。名誉ある指定ではありません。交通事故多発地域に対し、「もっと事故防止に努力してください」という叱咤を意味する指定です。
市内の交通事故死亡者は、昨年は4人でした。しかし、今年はすでに6人の方が亡くなっています。この他にも、統計には含まれませんが、1人亡くなっています。これは非常事態です。6月、7月の2カ月間、多くの交通関係者のご協力をいただきながら、交通事故防止キャンペーンを展開しています。
「せまい日本、そんなに急いでどこへいく」という交通標語がありました。交通事故は、自分だけは無関係ではすみません。被害者にも、加害者にも絶対ならないよう、お互いに十分注意しようではありませんか。
第3話 心の健康 平成5年6月1日
日本人は、生活の知恵の一つとして、自分にふさわしい生活を見つけ、それに生き方を順応させるという手段を会得していました。さらに、決して無理な生活はしないという生活信条も持っていました。足らないところを近隣が補い合って、一つの生活が成り立っていたのだと思います。
しかし、このことは、資本主義社会の宿命とも言える「貧富」の格差を広げる結果にもなりました。そこで、「貧富」という主として、「物」の格差をなくすための努力が、国民全体で行われ、外面的には貧富の差を解消し、物の豊かな社会になりました。ただ、そこに出現した社会は、他人より一歩先じるための熾烈な競争と、企業も個人も横ならび意識に翻ろうされるという物中心の社会であります。それは、やすらぎ、ゆとり、思いやりといった心の健康のために必要な意識を喪失した社会でもあります。
政治も経済も、その改革の必要性が叫ばれています。個人もまた、物中心意識を改革し、心の健康の重要性を再確認する時代を迎えたと思います。横ならび意識を捨て、自分にふさわしい生活を考えてみませんか。行政も考えます。
第2話 体の健康のために 平成5年5月1日
暮れなずむ朱に染められて、ちょっと太目のお母さんたちが、健康歩行する姿をよく見かけます。ほのぼのとして、入間市も生きているんだなと実感します。
最近、健康増進のため“歩く”ことが盛んになっています。四本足で歩いていた人類の祖先が二本足で歩くようになり、他の二本は手として機能するようになりました。手と足がうまくバランスして文明を発達させ、健康を保持してきました。ところが、このバランスが崩れ、第二の心臓ともいわれる足の重要性が忘れ去られ、不健康な状態が現れてきました。
健康を保持する方法はいろいろありますが、お金も、決まった時間も必要のない “歩行”は、最善の健康法と思います。あなたが、車から少しでも離れることによって、健康が保たれ、地球が救われます。
地球規模で考え、地域からの証として、1日1万歩の歩行を実行してみませんか。
第1話 健康とは 平成5年4月1日
誰もが、健康で長生きしたいという願望を持っています。人類の永遠のテーマといえるでしょう。
それでは、一体、健康とは何かということです。広辞苑では、悪いところがなく、健やかなことと書かれています。
しかし、この解釈は、多分に外的要因を中心にしたもののように思われます。たとえ、肉体や心に病気(障害)を持とうとも、輝いて見える人もいます。どこも悪いところがないようでも、沈んで見える人もいます。
自分に正直に、家族に充実感を与え、社会の連帯の中に生きられる人が、健康な人と言えるのではないでしょうか。
命の問題も同じだろうと思います。年というのは、人間が勝手に作った符号に過ぎません。
先日、イギリスで、2歳の幼な子の死が、社会のあり方についての議論を提起したと報じられました。この幼児ジェームズ君は、物体としての命は失いましたが、心としての命を、イギリス社会で永遠に生かし続けるものと思います。
私たちの身近なところにも、永遠の命を持った人が沢山いるような気がいたします。
結局、健康とか命の問題は、形ではなく、与えられた「生」を如何に充実して生きるかであると思います。
「健康で永年き」という青い鳥は、私たちの足元にいます。皆さん、青い鳥を逃さないようにしようではありませんか。
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