市長随筆集その2(第51話から第100話まで)
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歩キ目デス
第100話 100回の弁 平成14年7月1日
歩キ目デスが100回を迎えました。
原則として450字の字数制限、自己宣伝禁止等の制約は、決して快適な執筆環境とは言えませんが、冷汗三斗(れいかんさんと)の思いを振り払いつつ、100回を迎えられたのも、寛大な市民各位の暖かい励ましと、貴重なスペースを与えられる緊張感が、支えになっていると思います。心から感謝申し上げます。
言葉は、意思伝達手段の一つでありますが、特に文章は、書き手の表情や息吹を伝えることができないだけに、とても難しいものだと思います。特別よい文章を書こうとは思っていません(思ってもできません)が、いかに文脈を整え、文意を正しく伝えるか、浅学の私なりに苦労を重ねています。時には日本語の壁に突き当たり(単語、語彙不足)、自虐、反省の念に苛まれることもしばしばです。
五感を研ぎ澄ます市民の皆様の、批評に耐え得る文章でないことを承知しながら書き続けることは、傲慢、独善の謗りを免れませんが、よりよいまちづくりの小さなかけ橋と、ご寛容のほどをお願いいたします。
それでは、今後とものお目通しをお願いして、区切りの弁といたします。
第99話 二兎物語(4) 平成14年6月1日
人間の体は、巨大な生産工場に例えられます。
こんな小さな体の中に、コンピューターや超精密機械をセットし、自らの力でエネルギーまでも作り出し、一瞬も休むことなく生産活動を続けています。故障が発見されれば自力でこれを治し(自然治癒力)、危険な事態に警鐘を鳴らします。外見上ひ弱に見える人間ですが、よく分析すれば、非常に強靭で、精巧な仕組みによって体が維持されていることが分かります。
例えば、腸の中には有益な細菌がパトロールして、侵入する有害細菌と戦っています。ウイルスとて同じことです。ところが、あまり神経質になって悪者細菌を一切排除してしまうことは、かえって、腸内に常在する細菌の戦闘能力を弱めるといわれます。過剰反応は、人間の持つ自然治癒力を減退させる可能性があるということです。
健康を保つために、二兎、三兎を追うのは大切なことですが、素晴らしい体の仕組みを信じ、それらとの適度の調和を意識しながら、人それぞれにふさわしい健康の維持を考えることが必要ではないでしょうか。
梅雨が始まります。体調保持にはくれぐれもご留意を。
第98話 二兎物語(3) 平成14年5月1日
日本人の個人金融資産(預貯金等)は、1,400兆円を超えていると言われています。卸売物価は下がり続け、地価の下落も止まりません。物が安くて貯蓄もあるということは、結構づくめのような気がしますが、生産する側からすれば、作っても赤字では生計が立ち行きません。
デフレ、インフレは両極端の経済現象ですが、日本は今、完全なデフレ経済の中で、もがき苦しんでいます。デフレを克服することは、インフレ対策よりも難しいとも言われています。企業倒産が増加し、失業率が高止まりの状況は、まさに、デフレスパイラルに陥ったと言っても過言ではありません。
これに加えて、国際競争の激化は、一国だけが都合よく繁栄することが許されない状況になっています。政府は当然のこと、多くの専門家が解決策を提示していますが、特効薬はなかなか見つかりません。一つだけ言い得ることは、バブル期の栄華を追いつつ、不況から脱出することは大変困難であるということでしょう。
苦難の道を回避して楽土への到達はないことを肝に銘じながら、景気回復の一日も早いことを祈りたいと思います。
第97話 二兎物語(2) 平成14年4月1日
いつでも、どこでも、誰でも安心の医療が受けられることは、素晴らしいことです。
日本の医療はこの目標に向かって、国民皆保険制度の整備を進め、現在に至っています。日本の制度はそれなりに機能し、平均寿命も延びています。
しかし、三兎とも四兎も手中にしたかに見えたこの制度も、増加し続ける医療費とその負担の問題をめぐって大きく揺れています。税による負担か、受益者負担によるべきか議論が分かれるとともに、当然のことながら、医療費そのものに対する問題も指摘されています。
高齢化が急速に進み、高度医療、医薬品の増加、高額化等の問題と併せて、30兆円を超える医療費が毎年7%前後も増え続ける状況は、皆保険制度を根底から揺るがす事態になっています。組合健保は破綻が懸念され、市町村国保も税の支援なしに運営は困難になっています。安い負担で高度な医療をという二兎を追っていれば、保険中心の医療制度は崩壊するでしょう。
いずれにせよ、医療費の負担者は、国民以外におりません。負担割合の議論とともに、医療費にどう歯止めをかけるのか、自分自身の問題としても考えることが大切と思います。
第96話 二兎物語(1) 平成14年3月1日
「二兎を追う者は一兎をも得ず」とは、古くて新しい格言です。先人たちも欲張って、二兎、三兎を追いかけて痛い目にあったことを反省し、この言葉を遺したものと思います。しかし、私たちは、この教えに耳を傾けず、経済至上主義に酔い、二兎を追い続けました。
工業の発展は、すべてに優先する魅力的な生活を実現し、そして、日本にはまだまだ多くの自然も残せると錯覚しました。その一例が、列島改造論をベースとした市街化を促進する地域と、抑制する地域の線引きです。これによって理論上は、開発と自然保護の二兎は手中にできるはずでありましたが、現実は、公害の発生、スプロール化、自然破壊と大変な負の遺産を背負い込み、地価は高騰し、バブルは異常に膨らみました。二兎を追ったツケはそれのみにとどまらず、バブルははじけ、人々の心は荒廃して、10年以上もの間、不況に苦しんでいます。
確かに、日本の国土は狭く、産業の活性化と自然保護という二兎を追う宿命にありますが、一兎をも得ずの愚は、避けなければなりません。不況の時だからこそ、今一度自然の大切さを考え、守るための知恵を出さなければなりません。
第95話 「知るは喜び」というけれど 平成14年2月1日
今年も歩キ目デスをよろしくお願いいたします。
科学技術の進歩は、私たちの生活に多くの利便性をもたらしました。特に情報技術の発達は目覚ましく、地球の距離、時間差を限りなく0に近づけました。テレビ画面に突如飛び込んできた米国同時多発テロの様相は、言葉を失わせ、劇画の世界を錯覚させるものでした。
一方で同じテレビが、ゆったりと私たちのルーツについて教えます。縄文人は、極寒の地シベリアから氷原を踏破して、日本に定住したといわれます。その人々の生活を支えたのは、豊かな森であり、四季の変化でありました。そして、これらの恵みは、あのヒマラヤのモンスーンによって運ばれて来ることが明らかになっています。(NHKテレビより)
知るということは必要ですが、知って考えることによって初めて、感性が磨かれ、人生を豊かにするのだと思います。知って、思考が奪われるような情報は、知る権利を留保することも必要ではないでしょうか。
「人間は考える葦(あし)」(パスカル)です。目先の情報に右往左往するのではなく、情報を選択し、よりよく生きる方法を考えることが大切と思います。
第94話 今年も暮れるああ2001年 平成13年12月1日
何回21世紀という言葉を聞き、何回、口にしたでしょうか。人々は、工業化、戦争、破壊の20世紀から、平和と安定、心の復興(ルネサンス)の21世紀の可能性を予感し、高揚しました。その期待の21 世紀の幕開けの年2001年、人々の心は重く沈んでいます。
アメリカ中枢部を狙った同時多発テロ、続いて発生した姿なき炭そ菌テロの恐怖は、悪夢としか言い得ない、おどろおどろしい現実です。世界の経済が影響を受けて、不況はより深刻さを増しています。
世界は、英知をもって戦争を克服したかに見えました。しかし、現実は、地域紛争が増加し、人々の疑念と憎悪が複雑にからみ合い、これに大国の思惑が加わって、その解決を困難にしています。
今回のテロとの戦いを、報復が報復を呼ぶ愚と指摘する声もあります。しかし、テロ行為そのものを正義とする実行グループ、イスラム至上主義をかかげ、聖地奪守を叫ぶ彼等とどう対話するのでしょうか。道は遠しの感がします。
さて、2002年、サッカーワールドカップ大会の年、平和な戦いに期待し、明るく希望のふくらむ年であることを祈ります。よいお年を。
第93話 光陰矢の如し、されど 平成13年11月1日
入間市は武蔵町を母体として、昭和41年11月1日、人口46,234人で産声を上げました。翌年西武町が加わり、現在の入間市となりました。現在、人口は3.2倍、予算は40倍になりましたが、その質の評価は人それぞれに異なるものと思います。
私は、この35年の行政の流れの中に身を置く幸運に恵まれました。この時の経過は、一瞬の如く思われますが、渦中にあった者の立場からは、やはりゆったりと流れたようにも思えます。この流れを遡ると、35年の中でゆっくりと変化したのは、まちづくり手法ではなかったかと思います。行政の指導を待ち、行政の敷いたレールを走ることが、当時の市民のごく普通の姿でありました。
確かに、激しく揺れる社会の中では、時間をかけてのまちづくりは、市民としても好まなかったと言えるでしょう。行政の価値判断は、その質よりも量が求められた時、その速さは魅力的であったと思います。
今、時代は大きく変わりましたが、一面で、歴史や記憶の中にこそ未来の可能性があると言われます。私たちは35周年を契機として、市民と行政がパートナーシップを強固にしつつ、未来の可能性を追求するという作業を、忍耐強く続けなければならないと思っています。
第92話 読書の秋を想う 平成13年10月1日
昔から秋は、灯火親しむべき候と表現され、読書にも最適の季節とされてきました。暑さ、喧騒の夏から解放されて、静かな秋の夜長を、読書で過ごすことは至福の時と言えるでしょう。とは言うもののテレビ、インターネットの普及によって読書に対する考え方、方法も多様化し、心穏やかに読書に耽けることは少なくなっています。
しかし、どのように時代が変わっても、書物に親しむことは心を豊かにし、人生を学ぶことに役立ちます。
本は心で読むと言われます。何回も繰り返し読むことによって、作家のメッセージをとらえ、自らの糧とする読み方を精読と言います。同じ読書でも、手当たり次第に読みあさることは濫読(乱読)、この中には斜め読みなどと言うウルトラCもありますが、私などは積ん読も得意です。
今、あまりにも理が先んじる時代になって、スピード、便利性、合理性のみが追求され、思慮深さ、洞察力といった人間の深奥を極める考え方というものが軽んじられる時代です。一度立ち止まって、悠久の時の流れの中にある小さな自己の存在を確認することも大切と思います。
読書の秋です。やめ読などとおっしゃらぬように。
第91話 暑い夏 平成13年9月1日
7月の平均気温は、関東甲信地方では平年値を3度以上上回る記録的猛暑でした。入間市でも35度以上を記録した日が13回もありました。少雨も含めて、まさに異常気象です。
その異変のためか、今年は蝉の発生に時期的、地域的に斑(ムラ)があるようです。
入間市周辺では、5、6月頃にハルゼミ(別名マツゼミ)の合唱で蝉ごよみ(?)がスタートし、ニイニイゼミ(チーチーボウ)、アブラゼミ、ヒグラシ(カナカナ)、ミンミンゼミと続いてツクツクボウシがフィナーレを飾ります。今年はニイニイゼミ、アブラゼミは出番が少なくて、ミンミンゼミ、ヒグラシは元気です。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の聲」は芭蕉ですが、蝉の声は、燃える夏に挑むような激しさの中に、静寂を演出し、蝉しぐれとは言い得て妙に思います。特にヒグラシは、文字通り、迫り来る闇の一瞬にひときわ高い旋律を響かせ、ものの哀れすら感じさせます。
蝉は、わずか1~2週間の夏の命を完全燃焼させるために、数年から十数年の地中生活を耐えています。
地球環境のメッセンジャーである小さな昆虫たちの居心地を良くするのも、我々人間の責務ではないでしょうか。
第90話 今度こそ日本は元気になるか 平成13年8月1日
666兆円という天文学的数字は、国と地方を合わせた債務です。そして、バブルの崩壊によって抱える銀行等の不良債権も、処理が追いつかない状況が続いています。その金額も数十兆円といわれていますが、詳しい内容は分かりません。
一方、預貯金をはじめとする1,400兆円の国民資産のあることも事実です。不況、倒産、リストラ、犯罪の多発と、暗いニュースが多い中で、表面的には冷静さが保たれているのも、このあたりに理由があるのかもしれません。
それはそれとして、現在まで、いろいろと改革に取り組み、対策が実行に移されましたが、厳しい状況は少しも変わっていません。小泉内閣は待ったなしの改革として、不良債権の3年以内の処理、郵政三事業、特殊法人等の見直しを断行し、道路特定財源、交付税制度等にも改革のメスを入れようとしています。今まで、観念的改革論は多くありましたが、いよいよ各論実行の段階に入りました。
これらは、単なる改革の域にとどまらず、革命と呼ぶにふさわしい大変革です。護送船団方式が国際的に通用しなくなった現在、痛みを避けた改革でその場しのぎをすることは許されなくなりました。そして、弱者切り捨て論によってこの改革が頓挫しないよう、セーフティネットの確立に配慮し、改革の痛みを少しでも和らげる対策を示すのが政治の責任です。
それと共に、健康体を取り戻すための大手術、その手術を受けるのは国民自身であることを忘れてはならないと思います。
第89話 がんばれ 日本人選手 平成13年7月1日
野球、サッカー等を中心として、日本人選手が世界各国で活躍しています。それとは逆に、日本での外国人選手の活躍も目立ちます。スポーツを通じて国際理解が深まることは、素晴らしいことです。
アメリカでは、日本人大リーガーたちが大活躍し、日夜報道されています。昨年までは投手だけでしたが、今年は鈴木(イチロー)、新庄といった野手も登場しました。圧倒的な体力差等から、野手での成功は疑問視されていましたが、そんな懸念をよそに両選手とも立派にプレーしています。特にイチロー選手は、6月18日発表のオールスターファン投票中間集計では、両リーグを通じた全米で1位という人気ぶりで、打撃、守備、走塁とすべてにおいてトッププレーヤーの貫録を見せています。新庄選手も意外性を発揮して、チャンスに好打を放っています。面白いのは、試合後のインタビューで、テレビカメラを活躍のエネルギーとしている新庄選手に対し、古武士然として肉体を鍛え、自らのスタイルにこだわり続けるイチロー選手、対照の妙を思います。
パフォーマンスによって活路を見つける者、地道な努力で花開く者とさまざまですが、プロスポーツは結果がすべてです。がんばれ、日本人選手。
第88話 21世紀どうなる、どうする【日本(日本人)】 平成13年6月1日
極東の小国日本が、世界を相手に戦端を開き、敗れてはや56年、この間、戦後復興を唯一の目標として死に物狂いの国造りを続け、農業国から工業国への転換は驚異的成功を収めて、豊かな日本を実現しました。反面、経済は一流、政治は三流とやゆされ、他力本願による成金国家の汚名も着せられました。
確かに日本は、米・ソを中心とするイデオロギー対立の狭間で経済発展を続け、平和憲法を後ろ盾として、金たれ流しともいえる外交を進めました。地球儀の中心は日本と錯覚もしました。世界の国々は、虫メガネで日本探しをしているとも知らずに。そして、東西の冷戦が終結したとき、スキマ外交は破綻し、バブルは崩壊しました。その結果による護送船団方式の解体は、日本の社会基盤を支えてきた中小企業や、米作を中心とする農業にも、影響を与えています。
国際化の流れの中で、「聖域なき改革」は必要なことでありますが、政治は、改革後に予測される数々の問題をどう解決し、「新世紀維新」をどう実現するのかを示す必要があります。と同時に、国民は、説明責任と履行責任がどう果たされるかを監視するとともに、国民としての責務を果たすことも求められています。
第87話 21世紀 どうなる、どうする【地球】 平成13年5月1日
「地球は人間がコントロールしているからこそバランスが保たれている。そうでなければ荒廃する」
これはある著名な学者の発言の一部の要旨です。その真意は別として、それは、それほどまでに人間が自然の領域を侵している証であり、人間の傲慢さを表した言葉と解釈もできます。
一方現実の問題として、地球の温暖化が進み、近い将来、海水面の上昇によって水没する国が現れるなど、気候変動による深刻な影響が懸念されています。そのため、気候変動枠組み条約に基づいて、温暖化防止のための「京都議定書」が策定されましたが、ブッシュ米大統領は、自国の利益を損なうとして、議定書不支持を表明しました。総論賛成、各論反対の国際版です。
自然に対しては、人間のどんな高邁な理念も、実行が伴わなければ空理に等しいのです。自然は人間の空論をあざ笑い、その偉大なパワーは人間の浅知恵など吹き飛ばし、人間が自然になした行為にふさわしい報償(報復もある)を用意しているだけです。
地球は人間の滅亡を望み、自然環境に順応する新しい生物の出現を待っています。恐竜が全滅しても、地球は残りました。
第86話 21世紀 どうなる、どうする【IT革命】 平成13年4月1日
世の中は、政治の混乱と経済の低迷に、数々の事件、事故が重なって閉塞感が漂っています。そんな中でIT革命が進んでいます。情報通信技術の革新によって、社会の仕組みを劇的に変え、景気の回復と国際競争に勝とうとするものです。まさに無血革命です。
これを成功させるため全国津々浦々でIT講習会が開かれています。無限の可能性を秘めたIT革命が、21世紀の高度文明社会の一翼を担うことは間違いありません。しかし、情報は魔物です。高度化した通信手段も、危険が多いことを知るべきです。
IT革命は、企業経営(自治体も含めて)にとって不可欠であり、体の不自由な人、知的作業に従事する人々にとって有効な手段です。
しかしまた、IT革命の流れに乗り遅れたとしても、敗者ではありません。あふれる情報の中から、何人のために、どんな情報を取り出せば良いのかを整理して、ネットアクセスすることが大切だと思います。ゲーム感覚が過ぎると、流血革命に巻き込まれかねません。
人はアナログ(連結性)の中に生きる動物です。デジタル(0と1の世界)で割り切れるものでないことを念頭に、IT革命を楽しむ余裕が必要です。
第85話 21世紀 どうなる、どうする【成人式】 平成13年3月1日
予定にはなかった成人式に触れてみたいと思います。
今年の入間市の成人式は、雪による手荒い祝福はありましたが、例年、60%前後の新成人の参加によって、華やかで楽しい雰囲気の中、整然と行われています。荒れる成人式とは無縁の、新成人の自覚が伝わってくる式です。
ほんの一握りの新成人による、幼児的暴走行為が、式の存廃の議論にまで発展したことは、残念なことです。例によって、と枕詞をつけたくなるような、観念的な議論が目につきました。それは、官製成人式批判(公費使用、退屈な公人挨拶)、無責任な新成人への愛想つかしに代表される見直し、もしくは廃止論、新成人の責任を確認する場として継続すべきとする存続論であります。そして、御都合主義的若者擁護論もありました。まさに百家争鳴の感がありましたが、この問題は冷静に、時間をかけて議論すべきで、一律的な存廃論の愚を避けて、それぞれの自治体にふさわしいあり方を考えればよいのです。
入間市ではこれからも、新成人と意見を交わし、お互いに儀式としての意義を考えながら、式を継続していきます。
第84話 21世紀 どうなる、どうする【いのち】 平成13年2月1日
歩キ目デスを今年もよろしくお願いいたします。
当たり前のことですが、人の命は地球よりも重いと言われます。その重い命が、あまりにも軽く考えられてはいないでしょうか。交通事故死者は毎年1万人前後を数えます。不注意によって失われる命です。病気は別として、その他の事故、事件によって失われる命も多くあります。一方、科学の進歩は、人類にとてつもない結果をもたらそうとしています。遺伝子情報を解析して、効果的な医療を施し、そしてガンが克服できたら、すべての人が150歳まで生きるのも夢ではないと言われています。
また、バイオの研究は、万能細胞を生み出し、それが心臓や肺などの臓器に姿を変えて、心臓も一つの部品となる時代が間もなく訪れようとしています。クローン人間は論外としても、これらの研究の成果が、治療の手段として活用されるならばそれは素晴らしい夢の実現となりますが、命そのものを操作するために利用されるとしたら、それは悪魔の所業に他なりません。命は限りがあるからこそ、その尊厳が保たれ、計り知れない重みを持つのです。そのことをしっかり議論することが大切だと思います。
第83話 いよいよ20世紀が終わります 平成12年12月1日
19世紀末、ヨーロッパを中心として世紀末現象といわれる思潮が蔓延しました。新しい世紀に対する漫然とした人々の不安と期待の心理を突いて、わずかな自然的、社会的変化を世紀末ゆえの異常現象ととらえ、退廃的思想を煽りました。ある一面においては、実に人間臭い社会思想とも言えます。そして平穏のうちに迎えた新世紀に人々は安心し、エネルギーの大爆発が起こりました。
人類の長い歴史の中で、20世紀は、破壊と創造という悪魔と天使のせめぎ合いの世紀であったように思います。私たちは今、その世紀末を生きています。稀有な体験であり、不安な要素は数多くあります。しかし、世紀末は語られません。ある意味において、合理主義の蔓延が、人間らしさを奪ってしまったのでしょうか。
21世紀は心の世紀等と言われています。人間らしさを失った20世紀を反省し、新しい世紀に「人間回復」を求めることは大切でありますが、それが、コンピュータの支配する人間像であるならば20世紀のコピーにすぎません。人のぬくもりの感じられる世紀は、平凡ではありますが、価値ある世紀だと思います。
第82話 法・いと悩ましきもの 平成12年11月1日
三期目の市長選に立候補表明していた私は、公選法によって売名行為が禁止され、市長就任以来81回も続いている随筆もこれに配慮して、休稿のやむなきに至りました。ご理解ください。
イギリスの古典的思想家トーマス・ペインは、その著作の中で「社会は我々の必要から生じ、政府は我々の悪徳から生じた」と述べています。人間は一人では生きられないことから、コミュニティーを形成し、自立、自助、協調をベースに、自由に、そして少しの自発的な社会規範に従って生きることに努めました。真の民主主義の追求です。しかし、人間は複雑怪奇な動物です。秩序の破壊者が現れたため、政府をつくり、法律をつくって社会生活の安定化を図りました。ペインの言うとおり、悪徳がなければ政府は要らないのです。
今、日本社会は、理論的には小さな政府の方向に動きつつあるように見えて、現実は逆のようにも思えます。市民が真に必要とする社会を実現させるための努力が、自主、自立の社会を生み、政府は限りなく小さくなるはずです。自縄自縛のような法律も必要のない社会を目指して努力、とは言うものの、これは夢物語でありましょう。
第81話 ふるさと 平成12年8月1日
夏休みに、両親のふるさとで楽しい生活を送っている子供たちも多いと思います。狭い日本でも、帰省に要する時間と出費は結構重いものと推察します。そんな苦労をしながらも訪れるふるさとは、人々をひきつける不思議な力、時には「魔力」を持っているのだと思います。ほとんど原風景は崩れたふるさとに戸惑いを感じながらも、多くの人々がふるさとに向かうのは、老いたご両親、親類縁者への思いは当然として、脳裏に焼き付けられたふるさとの姿を求めてのことでしょう。
また、ふるさとを偲び、その絆を強めるために県人会組織もあります。同じ県であっても、生まれ在所によって自慢の種は違います。そうであるからこそ、お国自慢を肴に酌み交わす酒の味も、一入(ひとしお)と思います。
石川啄木のように、石をもて追われるごとくふるさとを出ながらも、「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と、ふるさとへの断ち難き思いを詠んでいるのでしょう。
ふるさとへの思いは、人それぞれと思います。いずれにせよ、この入間をふるさととする子供たちの心にいつまでも生き続ける、ふるさと入間とするよう、最善を尽くす覚悟です。
第80話 自画自賛 平成12年7月1日
自慢、我田引水、手前味噌、自画自賛といった言葉は、多くの場合、鼻持ちならない言葉として受け取られます。その批判は覚悟のうえで、時には自画自賛をさせていただきたいと思います。時折市民の方から「遠方の友人に入間市を紹介する場合、特徴がなくて困ります。何か目玉を考えてください」と言われます。確かに入間市には、著名な施設、全国区の名所旧跡はほとんどありません。それに対して私は、「首都40km圏内で、これだけ豊かな自然と緑がある。あふれる人情と無限の活力を持つ市民、その市民が自力で造る万燈まつりと味の狭山茶、これらは全国一と自慢できるものです」と答えています。
当然のことながら、市民が誇りとする街、いいかえれば、自慢できる街の形は単純なものではありません。そして、それだけを求めることが街づくりの基本でもありません。14万6千余人が生きるこの入間市は、多くの可能性を秘めて動いています。不満探しから自慢づくりに意識を改革することで、入間の魅力が見えてくると思います。私もがんばります。ほほえましく、ささやかな自画自賛を繰り返しながら。
第79話 幸せなドイツのごみ 平成12年6月1日
3年振りに、ドイツの姉妹都市ヴォルフラーツハウゼン市を訪問しました。4年に一度の勧業博覧会に招かれた「高倉祇園太鼓」の皆さんに同行したものです。祇園太鼓の皆さんの大活躍によって、日本文化に対する理解も更に深まったものと思います。私は、行事の合間を縫って、ごみ処理施設、老人ホーム等を視察しました。「ごみ」については、確固たる理念とその活動に、環境意識の高さを感じました。全てのごみを資源ととらえ、徹底的に有効利用を図っています。7分別した中の生ごみは、手選別等によってたい肥系ごみ、可燃ごみ、資源ごみに分けられます。このうちたい肥系ごみは、粉砕されて、ベルトコンベアで醗酵室に運ばれ、14日間で一次熟成を終わり、別の場所で完全熟成を待ちます。これらの処理は全て、格納庫のような巨大建物の中で行われ、発生する臭いは天井に張り巡らされた直径1m程のダクトに吸い込まれて、醗酵室に送られます。この中で臭い(養分)はたい肥に混ぜられ、残った空気は植物(木の枝)フィルターを通ってほとんど無臭で戸外に放出されます。この施設で、18万人分を処理すると聞きました。「ごみ」の代名詞は「資源」、ドイツのごみは幸せです。
第78話 山は緑、だが。 平成12年5月1日
人も自然も華やかに装う季節です。心躍り、花に浮かれるとき、有珠山噴火のニュースが飛び込んできました。心からお見舞いを申し上げます。30年から50年のサイクルで繰り返されるマグマの反乱に、人々は苦しめられますが、その荒々しい自然は、代償として温泉や数々の恵みを与えます。
住めば都といいますが、どんなに厳しい冬があっても、また、災害という自然の報復を受けながらも、人々がそこを動かないのは、自然の豊かさ、偉大さを知っているからでしょう。これが真の自然との共生の姿であると思います。良いとこつまみ食いの共生など、あろうはずもありません。この素晴らしい緑をいつまでも望むのであれば、耐えるところは耐えることも必要です。
国貧しければ水清しとも言いますが、これを否定的に解するのではなく、きれいな水や空気が大切と考えるならば、それにふさわしい節度ある生活が必要と考えるべきです。
物の豊かさと心地よい自然という二兎を追っていると、21世紀は、兎の姿を見失うことになりかねません。自然は非情であり、気まぐれでありますが、じっと人間の生きざまを見ています。
第77話 子どもの幸せを願って 平成12年4月1日
日本は、豊かで平和、そして比較的安全な国といえます。反面、毎年一万人前後の人々が交通事故の犠牲となり、常識では理解し得ない事件も続発しています。特に児童虐待をはじめとする子どもをめぐる事件事故も、後を絶ちません。そして子ども自身も迷っています。今こそ、子どもの真の幸せについて、専門家任せでない議論が必要です。
ドイツ・フランクフルト学校局は「原始的ではあるが、子どもたちの健全性を確保するためには、自然や友達と触れ合うのが一番有効」と指摘しています。ヒトは動物として生まれ、躾(教育)を通じ、そして人や自然との触れ合いの中で、人間の尊厳を形づくるのだと思います。フランスの作家(思想家)ルソーは「子どもを不幸にする一番確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」と述べています。250年以上の時を経て、今に生きる言葉だと思います。
春4月、子どもたちは期待に胸ふくらませ校門をくぐります。自立の第一歩です。家庭も学校も、そして社会(行政)も総力をあげて、時に厳しくその成長、幸せを支えなければならないと思います。
第76話 足るを知る 平成12年3月1日
日本社会には物があふれ、欲しいものは何でも手に入る仕組みになっています。その状況とは裏腹に不平、不満の声が高まっているように思います。物があっても買えないからなのでしょうか。それとは少し違うように思います。
世論調査等では中流意識が定着化する中で、多くの問題に不満を示す状況は、私たちが理想とする社会が、実はたくさんの矛盾を抱えた社会であることに気づき、物に対する価値観が揺らいでいるためかも知れません。文明の進歩が、必ずしも居心地の良い社会の構成要素ではないことを、物の豊かさを体験してはじめて認識したことも影響しているのではないでしょうか。物欲は無限であり、その飽くなき追求は破滅であることを歴史は物語っています。中国周(東周)の時代の思想家老子は、その著作「道徳経」で「足るを知る者は富む」と説いています。その意は、貧しくとも満足することを知っている者は、精神的に富める者である、というように解されています。混沌の日本社会にあってこの格言は、数千年の時を経て、なお光彩を放っています。
バブルの崩壊によって穴の空いた心に、何を満たすかを真剣に考えるべき時と考えます。
第75話 平成12年(2000年)は穏やかに明けた、が… 平成12年2月1日
今年は、いわゆる2000年問題で一抹の不安を抱えての迎春でしたが、幸いさしたる混乱もなく越年でき、一安心というところです。今年も桜山展望台で好天の中、新春のご来光を拝みました。穏やかな中に荘厳さの漂う初日の出に向って、世紀末の今年が入間市にとっても、平和で活気に満ちた一年であるよう祈りました。それにしても新しいミレニアム(千年紀、キリストが蘇り人々を幸せに導くという思想)の年に、人間が作ったコンピュータシステムに振り回されながらのスタートとは、皮肉なことです。確かに文明が数々の恩恵を人類に与えましたが、それがいかにもろく、危険なものであるかを改めて知らされました。私たちは、人類が愚かで弱い一面を持っているように、機械もまたそれを超えるものではないと考え、常に危機に対する心の備えが肝要と思います。
そして、最近の生命科学の進歩は、クローン人間(臓器)をも可能とするまでに技術開発が進んでいます。
人間とは、そして人の幸せとは何ぞやが再び問われる新しい千年紀となるのでしょうか。
皆様の幸せをお祈りします。そして、今年も「歩キ目デス」をよろしくお願いいたします。
第74話 師走 〈時よ、ゆっくり走れ〉 平成11年12月1日
今年も余すところ一カ月足らずとなりました。太古の森、都会の喧噪の中でも、全く同じに時は刻まれます。しかし人は、自然と対峙した時、その大きさ、深さに圧倒され、時の流れも忘れます。自然が刻むリズムに身を委ねる時、それはまさに至福の時と呼ぶにふさわしい心の安らぎを覚えます。とは言え、時間に追われ、現実社会のしがらみから抜け出せない私にとって、心の安らぎを求めることは難しい問題です。また、多くの方々も、同じような思いをお持ちではないでしょうか。人間が道具を手中にし、それが急速に進歩改善されるとともに、豊かな時の流れの意味を考えることを、忘れ去りました。フランスの科学者であり、思想家でもあるパスカルは、1650年代にノート「パンセ」で、人間を悲惨と偉大さの両極限でとらえ、「考える葦」としたと、文献にあります。考える葦は文明を手にして、思考を忘れ、ただ時を追ってひた走っています。来年は新しい希望の千年紀のスタートですが、コンピューターの誤作動問題で揺れているのも皮肉です。くれぐれもお体を大切によい年をお迎えください。
第73話 もの想う秋 平成11年11月1日
先日、機会あって神宮表参道周辺の、いわゆる原宿辺りを訪れました。この一角に、古色蒼然、というよりも、今まさに朽ち果てんとするアパート群があります。4階建て1棟18室のアパートが6、7棟ほどあるのでしょうか。築後7、80年と直感した建物は、やはり関東大震災後の復興を大きな目的に設立された(財)同潤会が建築した青山アパートでした。樹齢100年にもなんなんとする欅(けやき)の巨木に抱かれるように、ひっそりとしたたたずまいを見せています。道路の向かい側は、近代的な建築物で輝いているのと対照的に、くすんで、首うなだれるこれらの建物が、よくぞ今まで生き延びたものと思います。快適性、効率性、利便性等を求める現代の生活感覚からは懸け離れたこれらの建物が、なぜかほっとして、ほのぼのとした温かさを感じさせます。
多くの人が眉(まゆ)をひそめるであろうこのアパート(長屋)が、実は日本人の失った原風景なのだと思います。だからこそ、倒れんとしてなおその存在感を示しているのではないでしょうか。でも、間もなく姿を消す運命にあると聞きました。生きた証(あかし)が、寂しいですね。
第72話 自然は教師 平成11年10月1日
9月号の歩キ目デスは「夏の思い出」。人間の原点は自然との触れ合いにあり、自然を教師とすることの大切さを夏の思い出に託して書きました。それから旬日を経ずして、神奈川県玄倉川の中州でキャンプ中の人々が、増水した川にのみ込まれるという悲惨な事故が発生しました。洪水警報が発せられ、避難勧告も行われたにもかかわらず中州に留まり、大惨事となりました。
確かに自然はせせらぎを演出し、新緑、紅葉と数々の名舞台を用意して、私たちを喜ばせ、楽しませてくれます。反面、地震、暴風雨、洪水、吹雪といった厳しい一面も見せつけます。たまたま、厳しさの体験が少なかったために、自然の優しさを信じ、悲惨な結果を招いたのが今回の水難事故だったように思います。
市内でも8月13日・14日・24日の大雨では、床上・床下の合計111戸の浸水被害をはじめ、がけ崩れ等の被害が発生しました。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。
自然とは元来、荒々しいものであり、冷酷非情なものであり、人と対峙するものです。優しさ、美しさは、小道具によって飾られた舞台背景であり、仮面であると考えるべきではないでしょうか。
だからこそわれわれは、自然を恐れ、自然から学ぶという謙虚さが必要なのです。そして、この地球のどこにも、自然と無縁の生活は存在しないことを今一度、心に刻みたいと思います。
第71話 夏の思い出 平成11年9月1日
8月6日午後、にわか雨を見ながらこの原稿を書いています。 今年の夏は連日、真夏日と熱帯夜で異常な暑さとなっています。 地球温暖化の影響かもしれません。
今から半世紀以上の昔、私の夏は、充実したものであったように記憶しています。朝はクモの巣取りで始まりました。新鮮な巣(見分けるのが難しい)を、針金の輪にからめ、セミ取り器の完成です。古い巣は粘着力もなく、元気なセミは取れません。 宿題もそこそこにセミ取り、特に敏しょうなツクツクボウシは、捕まえるのが難しいセミでした。午後は3~4kmも離れた川まで歩いて水浴び、帰りには暑さでむせかえる草むらで虫取りに夢中になりました。一天にわかにかき曇る夕立に追われて、家路を急ぎましたが、昔の雷は、今の雷鳴と比較にならないほど、強烈で、数も多かったと思います 。夜は、漆黒の闇の中、ランプ片手にクツワムシ、スズムシ、マツムシ取りに心躍らせ、長い夏の一日が終ります。自然発生的に集まり、散っていく仲間、これらを通じた遊びの中から、友情、礼儀、競争、自然の不思議等を学びました。
「自然は人類の教師」を原点とし て、少ない自然を守っていきたいと思います。未来を担う子供たちのために。
第70話 介護保険時代Ⅱ新しいムラ社会の構築を目指して 平成11年8月1日
日本はかつて、大家族制度のもとに、地域社会の問題は連帯感を基軸に解決し、相互扶助社会(ムラ社会)を実現しました。しかしそれは、閉鎖性(排他性)、力(数)による秩序維持等、多くの問題点を内蔵した社会でもありました。このため、ムラ社会は、本来地域社会の問題としても議論されるべき障害者、高齢者等の福祉の問題が、家庭内問題として処理される風潮も生み出しました。
戦後、日本社会は工業型国家への転換によってムラ社会は崩壊し、福祉問題等を中心として公共の視点からの議論が進み、課題の解決が図られるようになりました。素晴らしい社会の実現ですが、 こうした改革が進む中で、「道徳と国家の学校」ともいわれる家庭の役割が忘れられ、社会的混乱を起こしているのも事実です。今こそ、日本にふさわしい、新しい形のムラ社会の構築を議論すべきと思います。そのことによって、介護を必要とする人々と家庭の関係、それらを通じた家庭と地域社会のかかわり方等の議論が深まり、介護保険制度が、高齢者福祉を担う制度として定着化するのではないかと思います。
第69話 介護保険時代を迎えて 平成11年7月1日
少子高齢化社会の到来は、福祉のあり方にいろいろな問題を投げかけています。特に逆ピラミッド現象の中で、高齢者福祉を支える財源をどう確保するかは大変難しい問題です。また、高齢者自身の生活にしても、年金、医療費の問題等不安が尽きないのが現実です。
そうした社会状況の中で、公的介護保険制度の導入が決定されましたが、来年の実施を前に、保険料、介護認定、介護サービス等について議論を呼んでいます。従来の税中心の福祉から、個人、企業、国、県、市町村の分担によって実施される制度に変わるわけですから、福祉の大転換といっても過言ではありません。そのために、来年4月実施を危ぶむ声や延期の議論も出ています。
しかし、新しい制度ですから100%完全な形でスタートすることは無理があります。可能な限り問題点を整理して解決できるものから実施するという柔軟性も必要です。この制度は単に、被保険者のサービス充実のみならず、民間福祉産業等の参入による雇用拡大、グループホーム等の建設による公共投資の景気に与える影響も期待されています。全力を挙げて円滑実施に向け努力してまいります。
第68話 幼年期をおおらかに 平成11年6月1日
新学期が始まって2ヵ月、子供たちもそろそろ新しい環境に慣れ、落ち着いてきた頃と思います。野山の緑は人々に安らぎを与えてくれますが、今の子供たちは、自然の移ろいをどう感じているのでしょうか。小学校でも、不登校はもちろん学級崩壊も起きているという重い現実に、われわれは戸惑っています。
スイス生まれの教育者ペスタロッチは、教育の父と言われていますが、彼は幼児教育の大きな目的は、幼児の精神を発達させ、子供が本質的に持つ感覚に訴える方法が最善であり、いたずらに記憶を強要することがあってはならないと言っています。彼の200年前の教育理念は、現代教育の欠陥を指摘し、再び教育の原点に立つことを求めているような気がします。また、彼は「幼児期の学習は、かれの周囲にある事物を直接見たり聞いたりすることによって行われるべき」とも述べています。
自然に関心を持ち、感動する心は、直接自然の事物に触れることによって、はぐくまれるものと思います。学校でも家庭でも、より多くの時間がそうした学習に与えられることが、子供たちの精神的発達のために最も大切なことと思います。
第67話 さあ、5月・新茶を飲んで元気を出して 平成11年5月1日
お茶は、仏教伝来と共に日本に広まりました。その歴史は800年以上といわれています。最初は医薬として、高貴の間で珍重されましたが、その後武士から町人へと普及していったようです。特に、その喫し方が茶道として完成し、一方簡単に飲める煎茶が庶民の常用飲料として定着しました。江戸時代に、江戸っ子に愛飲された煎茶は狭山茶であったといわれています。そんな歴史のある庶民の味が、今、ピンチに立たされています。過激なダイオキシン汚染報道によって、特に贈答品の利用が激減し、生産者、茶商が打撃を受けています。狭山茶の総生産量の57%を生産している入間市にとって大きな問題です。ダイオキシン(類)に対するお茶の安全性は、公共検査機関の検査によってはっきりと立証されているにもかかわらず、人々の脳裡に焼き付いている汚染の2字は、なかなか消えません。しかし、冷静に考えれば、お茶の健康に与える薬理効果、例えば発がん抑制作用、抗菌作用、ダイオキシンを体外に排出する作用等は、微量(健康安全基準内)のダイオキシンの危険より数倍も優っていると思います。5月は新茶の季節、幸せな心と元気な体をつくるおいしい健康飲料として、ぜひ狭山茶をご愛用ください。
第66話 ダイオキシン 風評の被害 平成11年4月1日
ここ数年来、ダイオキシンの恐ろしさが訴えられ、発生を抑止するための積極的な取り組みが、各方面で行われています。
各市町村においても、きれいな大気を取り戻すべく、市民各位の協力をいただいて、懸命の努力をしています。しかし、私たちが豊かさと快適さを求め続ける以上、数々の危険因子が生み出され、これと背中合わせで生きざるを得ないことも事実です。大切なことは、その恐ろしさを、ただヒステリックに叫ぶのではなく、冷静に事の本質をチェックし、その影響を正しく理解して安全対策を講ずることだと思います。最近私たちは、数字が一人歩きすることの恐ろしさを体験しました。それは、テレビによるダイオキシン汚染報道で、生産農家が物心両面にわたり、計り知れない打撃を受けたことです。入間市の特産品である狭山茶も巻き込まれ、汚名返上には、大変な時間と労力が必要です。まさに、風評による被害です。このまま済まされるとするならば、目的(正義またはその思い込み)のためには手段も選ばずという、マスコミ翼賛会的危険すら感じます。
第65話 地域振興券 平成11年3月1日
日本の経済不況は、個人消費の低迷、設備投資等の意欲の低下のみならず、金融機関を取り巻く諸問題に対する国民の不安、不信が重なった構造不況の様相を呈しています。政府は、数次にわたる補正予算、公共資金の注入等、あらゆる景気対策によって、その浮揚を図っていますが、効果はまだ形として表れておりません。
それらの対策の一つとして登場したのが、地域振興券です。その政策的手法は、一部議論もありますが、この振興券が100%利用され、地域経済活性化に寄与することを願っています。各自治体も券のデザイン、偽造防止策はもとより、プレミアムの付与等工夫を重ね、積極的利用を促進しようとしています。
ところが、国の外郭団体が、振興券のデザインコンクールを計画していることを知りました。貨幣と同様の価値を持つ振興券を、コンクール対象とするなどという発想は、ノリ過ぎの感を強くしますが、そのことによって、もし、収集マニアによる券の死蔵などという事態が起こったら、まさに雄大な税金の無駄使いということになります。
振興券が、副次的効果を誘発し、景気回復の起爆剤となるよう、早期に積極的な利用を期待しています。
第64話 続・世紀末に想う 平成11年2月1日
今年は久しぶりに、冬らしい冬を予感させる年明けでありました。恒例により、桜山展望台での初日の出の集いに参加し、入間市の発展と市民の幸せを祈らせていただきました。
さて、私たちは今、稀有な機会を持とうとしています。それは、千年代を送り、二千年のスタートに立ち会い、二十一世紀を迎えるチャンスを共有しているということです。私たちが主役であった二十世紀は、光と陰が歴然として、その評価も分れるところです。その一つの反省点は、政治(戦争)、教育、環境問題等あらゆる分野において過去に学ぼうとせず、むしろ過去を捨て去ることによって現代を正当化しようとした点だと思います。だからこそ私たちは、後世代を生きる人たちが、心から学べるような過去(歴史)を作らなければなりません。ドイツの古典派哲学者ヘーゲルは、「民衆や政府は、歴史から学んだことも、そこから導かれた教訓に従って行動したことが一度もないことは、経験や歴史が証明している」(岩波・古典のことばより要約)と書いています。二千年時代を光のミレニアム(千年紀)とするために、二百年前のこの言葉に学びたいと思います。
第63話 世紀末に想う 平成10年12月1日
常識的には、21世紀は2001年から始まりますから2000年が世紀末ということになります。もっとも、キリスト生誕を紀元とする西暦の2000年は、新世紀のスタートにふさわしい年として、2000年を新世紀とする意見もあるようです。いずれにしても20世紀は間もなく終わります。世紀末は人々に漠然とした不安感を与え、世紀末の混乱が見られました。経済不況をはじめとする現在の混とんとした社会状況も、一種の世紀末現象と見ることもできます。
1901年(明治34年)、20世紀がスタートした時、当時の報知新聞が20世紀の予言と題した記事を載せています。新世紀に夢と希望、期待を寄せる明治の人々の熱い思いが感じられますが、そのほとんどが的中、実現しているという先見性に驚きを覚えます。
さて、21世紀はどんな予言がなされるのでしょうか。更なる医学の進歩、情報化、宇宙開発の促進等は十分予測可能ですが、20世紀が「進歩と破壊」の世紀と総括されるならば、21世紀は「心と自然のルネサンス」の時代とすることが求められると思います。
第62話 カルチャーショック その3 平成10年11月1日
国の成立ち、国民性(宗教性)、地域性等、数々の環境条件に適応しながら文化が形づくられ、現在に継承されています。優れた文化は大いに吸収する必要があります。もっとも、詩経には「他山の石、以って玉を攻むべし」ともありますが。
ドイツの教育制度(基本的には、教育の権限は州政府にあるので、州によって若干の違いがある)は日本に比較して複雑のように思います。義務教育期間は9年(12年もあり)で、小学校は6歳で入学し、第4学年(10歳)には自分の将来を決定づけるような選択を迫られます。しかもそれは、自由な選択ではなく、試験において一定点数を取らなければ、希望は実現できません。その選択肢は、日本流に言うならば、実技、実務の道を進むのか大学進学を目指すのかの判断であり、これを10歳で求められるということです。もちろん、親の助言もありますが、自主、自立意識をしっかり持っているからこそできることだと思います。
一方、日本の10歳は、親の丸抱え時代と言っても過言ではないでしょう。実務、実体験を尊重するドイツと、資格取得がすべての日本との大きな違いです。日本は変われるのでしょうか。
第61話 カルチャーショック その2 平成10年10月1日
今、日本は、明治維新、戦後改革に次いで第三の変革期にあると言われています。明治維新の柱ともいうべき明治憲法は、ドイツの古典憲法にその範をとっています。先人たちは、ドイツに新生日本の姿を重ね、建国の理念を求めたのかも知れませんが、国民性は違います。
ドイツの高速道路は普通、アウトバーンと呼ばれ無料で、スピード制限もありません。高速道路で、なぜスピード制限が必要なのか、がその論拠です。私の乗った車の速度計はマキシマム180キロメートルでしたが、常にそれが振り切れていたので、軽く200キロメートルは超えていたでしょう。
ただし、車間距離の確保(最近違反者が増えている)、追い抜きルールは厳しく守られています。日本のように、内側、外側追い抜き自由などということは絶対許されません。また、警報機の鳴っていない踏切はノンストップで、列車が来ないのになぜ止まるの、がその論拠です。左右が見通せないような踏切でもストップして安全確認(?)する日本とは大変な違いです。
ドイツ人の合理主義、自己責任意識の高さに脱帽。だから、日本人はこんな真似はしないでください。
第60話 カルチャーショック その1 平成10年9月1日
異なった文化に接した時に受ける精神的衝撃をカルチャーショックということはご存知のとおりです。入間市の姉妹都市、ドイツ・ヴォルフラーツハウゼン市の文化の日に招待を受け、短い期間ではありましたが、友好親善を深めてまいりました。ヴォルフラーツハウゼン市はミュンヘンの近郊にあります。ちょうど、入間市と池袋という位置関係でしょうか。今、ミュンヘンへの直行便はありませんのでフランクフルトでミュンヘン行きに乗り継ぎます。1時間足らずの飛行ですが、地上を見渡すと牧草地と黒い森、道路と川がくっきりと浮かび、オレンジ色の屋根と白壁の家が点在して、まるでおとぎの国をさまよっているような思いがします。一方、日本の上空から見る地上の風景は、まさにゴルフ場銀座の感を強くします。私もささやかな健康法の一つとしてゴルフを愛好していますが、この時ばかりは彼我の差にショックを受けました。
国づくり文化、国民性の違いはありますが、人口と比較して広大な国土を持ちながら、可能な限り緑を保全しようと努力するドイツ人の環境意識の高さに、学ぶべきことは数多くあると思います。
第59話 キレるとは 平成10年8月1日
最近、中学生の問題行動(いじめ・傷害・不登校等)が社会に大きな衝撃を与えています。キレる中学生という言葉を目にし、耳にします。しかしこの表現は、中学生全体が問題を持っているような錯覚を与えかねない言葉です。ごく一部の中学生の行動が、中学生全体の行動と受け止められる危険があります。そして、キレるという表現ですが、キレるとはつながっていたものが自然と分かれ、離れる・分断されると辞書にあります。ごく普通の子供が突然キレるなどと言われていますが、問題行動が日常化して既にキレている中学生と同様に、キレる子供も実は心の線は分断された状態にあったのではないでしょうか。ごく普通の子と見られていたとしても、注意深く接していれば何らかのサインはあったのではないかと思います。キレるという表現で問題行動を総括することは、子供たちの微妙な心の動きを見逃してしまった大人たちの短絡的な判断であり、その対策を誤りかねない大変危険な要素を持っています。問題行動・事件が発生すれば、キレる中学生とくくるのはやめたいものです。
第58話 人間・その性善なりや悪なりや 平成10年7月1日
全世界の願いをあざ笑うかのように、インド、パキスタンは地下核実験を強行しました。私も両国首相にあて、市民を代表して抗議文を送りました。両国は、カシミール問題という他民族にはその痛みの分からない怨念の地を抱え、対立を深めているとはいいながら、それが、核実験を正当化する何の理由にもなりません。また、アメリカ・ロシアをはじめ五大核保有国の存在が、新たな核保有国を作りだしていることも事実であり、すべての国が一刻も早く、核という禁断の木の実を放棄することが必要でもあります。確かに、核抑止力に、一端の理由を見つけることはできますが、これが実際に使用され、全面核戦争の事態を生じた時の悲惨さを思えば、核は廃絶されなければなりません。
それにしても今から二千数百年前、中国春秋の時代、思想家孟軻(もうか)はその著作孟子に、人の天賦の性は善であり、欲のみ抑制すれば、覇道は否定され、王道が求められると説きましたが、同じ頃、思想家荀況(じゅんきょう)は荀子の中で、人の性は悪であり修養と外的な規範によってのみ、人は正されると主張しました。二千年を経た今も、何の思想的進歩もない人間の業、不思議さを思います。
第57話 ヒマラヤ杉は残った 平成10年6月1日
豊岡中学校東南側に彩の森入間公園がオープンしました。総面積15ヘクタール、災害避難所を含めて、いろいろな災害対策機能を備えた県営防災公園です。1周約1.5キロメートルの遊歩道のほか、水と緑いっぱいの素晴らしい公園です。早速私も、この公園を早朝散歩のコースに組み入れ、日々の変化を楽しんでいます。目通り(樹木の太さ)2メートルを超えるようなヒマラヤ杉、桜、ギンナン、松等の巨木に挟まれて、噴水とショウブでメーキャップした雨水利用の池、芝生広場や名前もあまり知られていない草花等、自然がいっぱいの公園です。井戸の水をくむときは、その井戸を掘った者の苦労を思えとありますが、この土地は、陸軍航空士官学校建設のため半強制的に買収され、その後、この地で短い青春を過し、尊い命を戦場に散らした若者たちのいたことを私たちは忘れてはなりません。
緑に恵まれた入間市とはいいながら、市街地の中にこれだけ広大な緑地を確保できるということは、先人たちの協力なしにはあり得なかったことであります。
鎮魂と感謝の思いを込めて、積極的に、しかしスマートにこの公園を利用したいものです。ぜひ一度どうぞ。
第56話 乱世 平成10年5月1日号
戦国の武将たちが天下統一を旗印に、実は自らの野望を満たさんとして争った時代は、世は麻のごとく乱れ、農民をはじめとする領民は常に死と背中合わせの暮しを強いられました。そんな乱世にあっても、庶民は時代の息吹きを敏感にとらえ、知恵を働かせてしぶとく生き残っています。
時は移って現代も、ある意味で乱世といえる時代背景があります。政治、経済、教育、環境等、二十一世紀の快適社会を左右する重要な課題の解決が、諸子ほう起、百家争鳴の中で迷路に入っている姿は、これもまた乱世であります。しかし、戦国の乱世と大きく異なる点は、戦塵の中を逃げ惑う領民はいないことです。政治の貧困によって苦しむ国民は多いという反論が聞こえますが、もしそうとしても、その政治を選択したのは国民であります。われわれは、苦しみは回避したいと願いますが、経済不況も、環境破壊も、そして混乱する教育の現状も、それぞれ自らの問題としてその解決に取り組まなければ、迷路から脱することはできません。乱世の覇者は、われわれ以外にいないことをしっかりと考える必要があるのではないでしょうか。
第55話 春は来た、さあ 平成10年4月1日号
桜花爛漫、木々の芽吹きが入間の春を演出します。街では新品のランドセル、新社会人がまぷしく輝きます。
今年の冬は暖冬と言われていましたが、予報通り、冬型の気圧配置が弱く、太平洋岸を低気圧が通過してしばしば大雪に見舞われました。雪は冬の風物詩、とは言いながら暖冬なるが故に雪が多いという自然のいたずらに、地球の不思議を思います。そして、厳しさに耐えた後の喜びは大きいと言いますが、今年の春に一人(ひとしお)の感をお持ちの方も多いと思います。
それに引き替えて、景気の春はまだまだ遠いような気がします。春霞は風情がありますが、景気の不透明感は困ります。フレッシュマンが躍動する季節ではありますが、その一方で、閉じた心の中に重い何かを抱えて悩む若人達も居ります。夢と希望に人生を托さんとする若者にとって、今の社会は霞のかかった社会なのかも知れませんが、この霞は人間の力によって晴らしていかなければなりません。
暖冬であるからこそ雪が降るように、豊かさの中で失った夢や希望は、苦しさに耐えながら汗を流して見つけ出していかなければなりません。春は必ず巡ってきます。
第54話 言葉 このいと難しきもの 平成10年3月1日号
人間の重要な意思伝達手段として、言葉があります。日本民族の言語、日本語は、ある意味では単純でありながら、難解国語の一つとして外国人を悩ませています。特に、用法によって千変万化の日本語に戸惑う外国人も多いようです。外国人ならずとも日本人からも批判の多いものに、官庁用語があります。私も使う「前向きに検討します」、「調査研究します」などという約束語は、多分に曖昧模糊とした印象を与え、不評のようです。また政治家の言葉は、言語明瞭、意味不明とやゆされ、時に無責任の代名詞とされることもあります。もっとも日本人は、目は口ほどにものを言い、などと腹芸を歓迎する気風をもっています。
イギリスの元首相サッチャーさんは「政治は言葉なり」と言われたと聞きます。政治にかかわりをもつ者の発言は、美辞麗句で飾るのではなく、分かりやすい言葉で語りかけ、発言には責任を持つ意と解しています。
論語の一節に「徳ある者は必ず言あり、言ある者は必ずしも徳あらず」とあります。これを座右の銘として市政運営に努めたいと願っています。なに?「言うは易く行うは難し(塩鉄論)」ですと。
第53話 スピード時代 なぜ急ぐのか 平成10年2月1日号
政治的にも、経済的にも、また、地球規模の環境破壊にしても、言いようのない不安感、不透明感の漂う時代、これを世紀末現象とでも言うのでしょうか。激変する時代現象が人々の心を刺激し、焦りを生んでいるようです。
物に埋もれて、なお欲望から解き放たれない現代は、決して幸せな時代とは言えません。インターネットに代表されるデジタルネットワーク化は、一部で無用の摩擦を生じ、不気味な時代到来を予感させます。また、携帯電話の普及、交通機関のスピードアップ等、止まるところを知りませんが、無限の進歩、管理なき進歩が、社会の破滅を招くことを心配する学者もおります。時代の変化はそれなりに理解し、受け入れる努力をするとしても、急いだ結果、得られた時間をどう有効に活用するかを考えなかったら、進歩は破滅のシグナルとならない保障はありません。進歩のメリットを享受しつつ、時にゆとりを生み出し、充実した精神活動に生かすことができるならば、急ぐことの意義は高まるものと思います。
脇役である「物」が主役である「人間」を支配する社会は、正常な社会とは言えません。
第52話 地球温暖化防止 平成9年12月1日
12月1日から地球温暖化防止京都会議が開かれています。人間の生産活動の副産物として排出される二酸化炭素(CO2)、温室効果ガスの代表格と言われるCO2をなんとか減らそうという会議です。世界170力国が賛同しています。
温室効果ガスは、生物が地球上に生息できる温度域を確保するために必要ですが、このガスが増え過ぎると気温は異常に上昇します。約七千年前の地球気温は現在より2度高かったそうですが、これから百年後には平均気温は2度上昇すると推定されています。七千年かけて緩やかに変動した気温が、わずか百年で同じ変化をすれば、地球上がパニックを起こすことは当然です。氷河の溶解などで海面水位が上昇して水没する国、異常気象の発生、食糧危機、生態系への影響等、人間の生存にかかる重大な問題の発生が心配されています。
しかし、各国の思惑の違いによって、会議前から削減数値目標の設定でもめています。人間の欲望と環境とのバランス、未来を生きる人たちへの配慮を真剣に議論し、私たちも地球市民として不便さを忍び、CO2削減に向かって努力すべきと思います。
第51話 収穫の秋 平成9年11月1日
今年は比較的天候に恵まれて、農産物をはじめ自然の恵みは豊富のようです。といっても、市内では、あまり山の幸を期待することはできません。
昔、野山を駆け巡った方は、夏の終わりから秋にかけて、たくさんのキノコや小さな栗の実(山栗)拾いに胸をときめかせたに違いありません。豊富な肥料等、人間の手に守られて成熟する農産物と違って、小ぶりで形も悪く食べるのに手間のかかる山の幸ですが、その味の鋭さ、シャキッとした歯ざわりは、人工的産物の及ぶところではありません。
律儀に繰り返される自然の営みの中で、秋は自らの種を保存するために、また他種とのかかわりの中で生きる動植物(人間も含めて)の循環の大切さ、素晴らしさを教えてくれます。もっとも、自然の贈り物を口にしたことのない人にとっては、自己主張の強い山のキノコは嫌われるかもしれません。
今、人間は自然を否定し、自らの力を過信して砂上の楼閣を造り続けています。自然に接し、自然の味を再確認することは、人間のありさまを問い直す絶好の機会です。この秋は、私も天然の味を堪能させていただきました。ありがとう。
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