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市長随筆集その3(第101話から第150話まで)

歩キ目デス

歩キ目デス

第150話 教育 平成19年5月1日

 市内、小・中学校では、新学期が無事スタートしました。先生方の心配は、新入生は勿論、休み明けの子どもたちが、どのような状態で登校して来るのかということにあると思います。落ち着いた環境で新学期が始まったことに、安堵している先生も多いと思います。
 ここ数年来入間市は、中学校の不登校生徒が減少し、平成17年度の100人当たり出現率の県内市比較では最も低いグループに入っています。これは、さわやか相談員を配置するなど、きめ細かい対応をしていることも一因と思います。
 教育基本法が改正され、家庭、地域の教育力の重要さが改めて強調されたことは、風土に根差した教育実現の視点から、時宜を得たものと思います。これに学校・行政がしっかり連携することによって、子どもたちの知力、感性を磨く教育が実現するものと信じます。
 北欧の小国フィンランドは、世界で最も教育水準の高い国の一つといわれ、特に教師が尊敬されて「教師は国のロウソク」、すなわち身を削って国(子ども)に尽くすことが強く期待されているようです。日本でも、社会全体で子どもを守り、育み、教職にある者は強い使命感によって、社会から尊敬される教師像を確立してほしいものです。

第149話 春夏秋冬 平成19年4月1日

 すべての生物が躍動し、光り輝く日本の春は、厳しい冬を耐え抜いた、生きとし生けるものに対する自然からの大きな贈り物です。減り張りの利いた四季の移ろいは、日本人の精神風土に、大きな影響を与えたのではないでしょうか。
 忍耐、勤勉、誠実、謙譲などの言葉が、実によく似合っていた日本人の感性は、厳しい自然との対峙の中で育まれたものと思います。そして、親切、助け合いと言った他者への思いやりも、貧しさから身を守る、生活者の知恵と考えることもできます。
 主として鎌倉時代以降、多くの異国の人々が日本を訪れていますが、自然の豊かさ、美しさ、人々の節度ある暮らしと他人を思いやる態度に感銘し、「黄金の国・ジパング」と称えたイタリアの商人(マルコ・ポーロ)もいます。
 このような美しい国土も、徐々に開発が進んで環境が悪化し、これと軌を一にして日本人の心の荒廃も進みました。人間の勝手な行動を叱責するように、今年は暖冬傾向が強まり、東京地方の平野部は雪の降らない冬でした。日本の四季から、冬が削りとられたら大変です。 日本の冬を守るために、環境保全に役立つことを、一つでも実行していくことが大切と思います。

第148話 学校訪問 平成19年3月1日

 教育基本法が改正され、教育再生をテーマとする議論が活発に行われています。だから、ということではありませんが、先日、市内16の小学校を訪問しました。限られた時間の中で校長と面談し、1、2学年を中心として、いくつかのクラスの授業風景を参観しました。個々のケースは別として、全体的には、落着いた状態で授業が行われていました。
 教師の能力(指導力)が問われ、学級崩壊は当たり前という一般論を信じていた私にとっては、市内各小学校の教室風景は整然としていて、時にほほ笑ましい情景も垣間見られたことは大変うれしいことでありました。また、いじめらしきものもなく、不登校も非常に少ないとのことに安心しました。教育論に絶対はありませんが、小学校低学年の時代から、家庭や学校が100%の愛情と50%の厳しさをもって接し、集団(社会)の中の自分、人との接し方、守るべきルールやマナーを少しでも理解させることに成功したら、その子どもは、長い人生をより良い形でスタートしたことになります。
 そして、その幸せを奪われることなく中学、高校と進む入間の子どもたちが、社会の荒波に立ち向かい、たくましく生き抜ける人間に成長することを心から願っています。

第147話 命 平成19年2月1日

 昨年の一語漢字は「命」でした。命はごく普通に語られ記されますが、これを選んだ人々の思いは多様であろうと思います。ただ、昨年の数々の命に関わる出来事を想起するとき、余りにも軽く扱われた人の命に対するやり場のない苛立ちが、この一字を選ばせたように思います。
 奪われた命、失われた命の重みを思うとき、人間の業の深さを改めて知ります。そして、悠仁親王ご誕生に象徴されるように、生まれる命、救われる命の輝きに感動する心が、この一字に込められているのかも知れません。
 命は人間だけに与えられた特権ではありません。地球上のすべての動植物にも命があります。むしろ、モノ言わぬそれらの動植物こそ、命の限りを尽くして自然の摂理の中で生きているように思います。
 命とは生きることであり、いかなる困難に直面してもこれを乗り越えて生き抜くことは、命の尊厳を知る人間としての、当然の責務であると考えます。そして、生としての命は有限ですが、永遠の命もあることを考え、だからこそ生に執着し、かけがえのない命に光を与えながら、人生を歩まなければならないと思います。
 今年は命が大切にされる年であることを祈ります。

第146話 教育改革に暮れる 平成18年12月1日

 教育基本法の改正が国会で審議されています。百年の大計を目指して、慎重審議の上、決定してほしいと思います。
 一方、教育現場では、教師に対する暴力、児童、生徒のメール等を利用した陰湿ないじめも深刻化しています。そして、いじめられた小・中学生が遺書を残して自殺したという現実についての、学校側の認識の甘さが、社会的問題にもなりました。
 確かに教育現場は多くの問題を抱えています。特に、家庭の教育力の低下が議論される中で、学校の果たすべき役割はますます重く、複雑化しています。教育は、人間が人間たり得るために与えられた権利であり、課された義務と考え、その教師像は、いけいされるにふさわしい人格者であり、子どもには慈父、慈母のごとくあることが求められています。
 教育基本法が理想を高くうたい上げても、魂が入らなければ飾り物にすぎません。法の理念を実践するためには、教育者を中心として保護者、地域、行政が緊密に連携し、信頼関係を構築する中で教育活動が展開され、主役の子どもには、時に厳しく接することも必要と思います。
 玉(たま)琢(みが)かざれば器を成(な)さず(礼記)
 よいお年をどうぞ。

第145話 市制40周年 平成18年11月1日

 「十年一日(いちじつ)」であるのか「十年一昔(ひとむかし)」であるかは人それぞれによって判断は異なります。
 平成8年、市制30周年の人口は145,250人でありましたが、10年後の人口は150,026人ですから増加率約3.3パーセント、年率に換算すれば、0.33パーセントとなります。1年の増加率4から5パーセントの時代と比較すれば増加とは言えない数字ですが、人口減少時代にあって僅かでも増加を続けることは、それなりに意味のあることと思います。
 一方、まちづくりに対する市民の評価を、満足度という基準に置き換えて推測(市民意識調査)すると、40項目にわたる調査結果は、平成7年が満足とする人約45パーセントに対し、平成17年は約58パーセントと増加しています。市民一人ひとりにとって満足度の尺度に違いはあると思いますが、全体的には市民の皆さんの満足感は高まっていると思われます。
 先日、タイで無血クーデターが起きましたが、プミポン国王は「足るを知る経済成長を目指そう」と国民に訴えました。無限の欲望は不満を生み続け、いずれ社会の衰退、荒廃につながります。何を満たし、何に我慢を求めるのかを議論しつつ、「有限の欲望」の追求を続けたいと思います。

第144話 交通戦争は続いています 平成18年10月1日

 日本は、戦後61年間、他国と戦争することなく平和を守ってきたことを誇りにしています。これからもこの姿を守っていかなければなりません。そして、独立国家である以上、自らの力によって国と国民を守る方策も確立しなければなりません。
 さて、16,765人と6,871人、この数字は、国内の交通事故によって失われた、年間最多と最少の「命」の数です。単純に計算すれば少ない年で1日約19人、多い年で約46人が交通事故によって命を落としています。まさに、交通戦争と呼んで何の不思議もない状況
が、この平和な日本で40年以上続いています。
 つい最近、九州の福岡市では、市職員の飲酒暴走運転による追突事故で、一家5人の乗った車が海に突き落され、3人の幼子がかけがえのない命を奪われました。加害者の行為は、事故ではなく、殺人に等しいもので、言葉を失います。
 交通事故は、日常茶飯の出来事として、とかく軽く考えられますが、ハンドルは銃の引き金、車を凶器としないために緊張感をもった運転が、絶対に必要です。
 武力戦争であれ、交通事故であれ奪われた命の尊さは全く変わりません。心せよ、運転者。(9月10日記)

第143話 日本人の誇り 平成18年9月1日

 歴史は、必ずしも真実を語ったものではないといわれています。確かに、権力者の都合の良いように歪(ゆが)められ、記録者の主観によって事の本質が伏せられてしまうこと等を考え合わせると、歴史の不確実性は否定できないと思います。とは言うものの、日本は古代から国土も安定し、外敵の侵入も殆(ほとん)どなかったことから、民族活動の歴史は比較的明解ではないでしょうか。 その中で、特に光りを放ったのは平安時代といわれています。小野小町、紫式部等の女流文学者が台頭し、物語、日記、随筆等が出て、同時代の世界の文化水準を、はるかに超えていたと評価されています。
 下って江戸時代は、庶民文化が開花し、物を大切にして環境に優しい生活を実践したことは、当時の外国人が、江戸庶民の情感の豊かさ、知的水準の高さを称賛したことによって証明されています。そんな誇り高き日本人が、現代に悲観し、混乱し、感情に走って、ただ楽土を追い求める姿は、とても未来に残せるものではありません。
 先人に思いを馳(は)せ、感性を磨き、この国に生まれた幸せをしっかりと次世代に引き継ぐために、難問山積の中で、頑張らなければと思います。

第142話 北朝鮮という国家 平成18年8月1日

 北朝鮮が弾道ミサイルを発射しました。“よもや”が“まさか”に変わった瞬間です。以前から北朝鮮の不穏な動きがキャッチされ、世界各国が警告を発し、自制を促す中で、7月5日早暁から夜間にかけて7発のミサイルが発射されました。世界中から上る非難の声に「ミサイル発射は軍事演習の一環、国家主権に属する問題」とコメントしています。いち早く経済制裁を発動した日本に対し、「このような措置によって生じる重大な結果についての責任は、すべて日本側にある」と恫喝(どうかつ)しています。
 拉致問題に幕引きをはかり、ミサイル発射、核開発と突っ走る北朝鮮の姿は、世界を敵に回した軍国主義時代の日本の姿に重なります。北朝鮮が歴史に学ぶ大切さを知るならば、かつての日本のように、破滅への道を選択すべきではありません。独裁国家の常套(じょうとう)手段は、たとえ国民に利益をもたらす提案であっても、独裁者の意に反する情報は抹殺し、国民を煽動(せんどう)し得る情報のみを流し続けて国家の存続を図ろうとすることです。
 日本も関係各国と連携を強化し、「対話と圧力」のバランスを判断しつつ、冷静に解決の糸口を探す努力が必要と思います。

第141話 人の世は住みにくいのか 平成18年7月1日

 夏目漱石が、小説「草枕」を発表したのは今から百年前です。その冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と書いています。それらに続いて「人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣りにちらちらする唯の人である」とあります。
 昨今の世相をみるとき、百年の歳月を越えてなお、人の世の業(ごう)を思います。文明の進歩の名のもとに情が疎んじられ、智の角(かど)のみが突出する社会は決して住み心地の良いものではありません。それどころか、それが当たり前の人の世になっていることに言い知れぬ不安を感じます。漱石は、住みにくい人の世を束(つか)の間でも住み良くするために、「詩人という天職が出来て、そこに畫家(画家)という使命が降る。あらゆる藝術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊(たっ)とい」と心の糧としての芸術論を展開しています。
 情報技術革新が進み、利己主義、経済至上主義が闊歩(かっぽ)する現代を日本破滅の一里塚としないために、情と智がほどよく調和した人の世作りに、皆が智恵を絞らなければならないと考えます。

第140話 気配りも必要です 平成18年6月1日

 4月、5月は、自然も人間社会も活気に満ち、輝く時です。特に入間市は、木々の緑と茶園の緑が心を和ませ、生きる喜びを与えてくれます。この地に住んだ多くの人々が、営々として築いて来たふる里入間を強く実感する一時です。
 わたしも天気の良い日には、約2km程を歩いて役所に向かいます。車では目に留めることのできない路傍の変化を、肌で感じることのできるのは嬉しいことです。しかし、そんな幸せな気持ちも、心無い人の行為で暗くなることもあります。
 誰かの手によってきれいになった路肩に捨てられる空き缶類、食べかすを入れたビニール袋を見ると、捨てた人間の心の貧しさを思い、哀れみすら感じます。そして、狭い歩道を、肩も触れんばかりに勢いよく走り去る自転車には、恐怖を覚えます。
 道路は競走場ではありません。歩行者に気を配り、安全運転を心掛けるのは自動車の運転と同じであり、時に、自転車事故でも、人の命を奪うことがあることを銘記すべきです。
 人間社会は一人では生きられません。少しの気配りによって、人も自然も楽しく生きられる社会にしたいものです。

第139話 王ジャパンは強かった 平成18年5月1日

 野球の国・地域別対抗戦(WBC)で、日本は見事初代チャンピオンになりました。予選の状況では、韓国に連敗するなど、決勝リーグ進出は絶望視されましたが、よもやのアメリカの敗退で息を吹き返しました。日本チームは一試合ごとに集中力を高め、韓国、キューバに圧
 勝して王者になったことは、世界に誇るべきことだと思います。
 アメリカ主導によるこの大会は、アメリカの国威発揚が目的などと、いろいろな批判もありますが、アメリカの敗退によって、野球は世界のスポーツであることを実証した意味は大きいと思います。しかし、そんなムードに水をさすように、韓国球界のトップが「日本の優勝は恥ずかしい優勝」と発言しました。ルールに従って堂々と戦い、優勝したことが、どうして恥ずべき優勝なのでしょうか。確かに、予選リーグで日本に2勝した韓国の、悔しい感情は理解できますが、トップの発言としては冷静さを失ったものであり、この発言こそ恥ずかしいこ
とではないでしょうか。
 王ジャパンは「世界最高水準の野球大会」の勝者にふさわしく、単に強さのみならず、品格をもった最高のチームであると思います。日本は元気な国です。

第138話 トリノに思う 平成18年4月1日

 今年の冬は厳しい寒さと乾燥、そして雪国では、例を見ない豪雪で大変心配されましたが、2月に入り、適度の降雨もあって春の訪れは順調です。
 トリノ冬季五輪は、評判倒れでメダルに手が届かず、欲求不満が募りましたが、大詰めを迎えて荒川静香選手が金メダル、日本中が沸き返りました。多くの挫折をバネにして胸に掛けた金メダルは、秘めた闘志と冷静さによってもたらされたものでしょう。また、カーリング「チーム青森」の女子選手の活躍は、マイナースポーツのカーリングにスポットライトを当てました。感動を与えてくれたすべての選手に感謝したいと思います。
 ただ、「日本選手は何故、負けてもにこにこしているのか」と言う韓国体育関係者の言葉は、心すべきものと思いました。オリンピックは参加することに意義があり、笑顔の似合うスポーツの祭典ですが、やはり最高の舞台で敗れれば、悔しいはずです。歯を喰いしばって悔しさに耐える姿は、スポーツ選手の美の一面を写していますが、繕い笑いは進歩、成長の糧にはなりません。
 これはスポーツのみならず、人生のすべてに通ずることでもあると思います。

第137話 やはり人間の性 悪であった か 平成18年3月1日

 最近似たような事件が次々に起きています。ライブドア事件、耐震強度偽装事件、東横イン事件など、法を無視した事件が多く起きましたが、これらにはいくつかの共通点があるように思います。それは、儲けがすべての拝金主義、規範意識(遵法精神)の欠落、ワンマン経営で役者顔負けの演技力の持ち主ということです。
 ライブドアの堀江容疑者は、その型破りな経済活動が、拍手喝采を浴びましたが、その後の調べで、単なる詐欺犯同様の実態(虚像)が暴露されています。姉歯事件のフィクサーとも見られている社長は、自分たちの不祥事(悪事)を見抜けなかった検査機関が悪いと、損害賠償訴訟を起こすに至っては、開いた口もふさがりません。そして、東横インの社長は、条例、法令違反の建物改造を「時速60キロを7、8キロオーバーした程度」と認識し、「年間1人か2人の利用」として、社会参加を熱望する障害者の思いを踏みにじる発言など、これが大手ビジネスホテルチェーン社長の言葉かと耳を疑いました。
 人間の本性は悪であるとして、修養と外的規範(教育)によってのみ人は正されると主張した荀況(古代中国の思想家)の説を思い、教育のあり方をより深く議論すべきと思う昨今です。

第136話 寒島にっぽん 平成18年2月1日

 ここ数年来、猛暑、暖冬というパターンが定着し、地球温暖化の影響が議論されています。この冬も、昨年の長期予報では暖冬のはずでした。しかし、昨年の12月頃から日本列島は異常な寒さに襲われ、気象予測も一転、寒い冬に修正されました。
 日本海側の各地では、連日の大雪によって多くの人命が失われ、家屋の倒壊等日常生活への影響が報じられています。一方東日本も、12月の平均気温はここ60年で一番低い気温となりました。
 日本全体が冷蔵庫といった状態ですが、入間市は一年を通じて大きな災害もなく、幸せなことだと思います。ただ、そうは言いながらも今年は、この寒さに加えて降雨量が極端に少なく、農作物への影響が懸念されます。既に、特産狭山茶の圃場で、葉が枯れ始めたと聞くと心配になります。
 ウグイスは春告鳥(はるつげどり)の季語をもちますが、茶樹はさしずめ春告樹、入間の春の演出のためには、一刻も早い降雨が待たれます。そして春霞(はるがすみ)の中で、緑のじゅうたんが私たちの目を楽しませてくれることを祈らずにはおられません。冬来いならば春はすぐそこ。今年もよろしくお願いいたします。
(1月10日記)

第135話 競争社会 平成17年12月1日

 戦後60年の節目の年が終わろうとしています。幸いにも日本の戦後史は、経済の繁栄によって豊かな社会を実現し、平和な生活が保たれています。もちろんこれは、激烈な競争という試練を乗り越えて手にしたものですが、このために失ったものも少なくありません。
 平和な社会があってこそ成立する自由経済社会も、思いやりとか助け合いという心の平和は、むしろ不用とされる現実は皮肉なことです。時には、「心」重視が効率性社会の敗者に数えられる場合すらあります。
 もちろん、競争なき社会に進歩はありませんが、過度の競争社会は人心の荒廃をもたらしました。多発する犯罪も、想像を絶するほどの異常な形になっています。大学教授をうならせるほどの知識を持った高一女子生徒の母親への劇物投与容疑事件は、その手段の異常性も含めて、言葉を失うほどのショッキングな事件です。その動機解明は別として、この事件が特異なものなのか、氷山の一角なのか社会全体の検証が必要のように思います。
 そして、冬は春の先触れと信じ、迎える新年が、明るいニュースに満たされた一年になることを祈りたいと思います。
 よいお年をどうぞ。

第134話 ノーベルさんも苦笑い 平成17年11月1日

 人間は常に進歩、変革を求めて走っている生き物です。現状に止まることは退歩、敗北と信じ、前進のための努力を続けた結果、途方もなく便利で幸せな社会を実現しました。同時に、このような社会がいかに危険に満ち、不幸をもたらす社会であるかを知りました。
 アルフレッド・B・ノーベルはダイナマイト、無煙火薬の発明によって巨万の富を得ました。そして、この発明が人類に多くの不幸や悲しみを与えていることに心を痛め、人類の平和と幸福に貢献した人々の賞として、ノーベル賞を創設しました。
 日本は第3期科学技術基本計画で、今世紀前半に30人のノーベル賞受賞者を輩出するという、世界に例を見ない目標を定めるようです。戦後のドイツは、ノーベル賞とは縁遠い国になっていますが、子どもの学力低下もその一因という意見に対し、「教育はノーベル賞のためにあるのではない」という世論が勝利したと聞きました。
 長崎で被爆した永井隆博士は「科学とは真理に恋すること」と記しています。ノーベル賞受賞を至上命題とする国とこれを冷静に見つめる国、果たしてどちらの国が真理に恋しているのでしょうか。

第133話 やっぱり自然は正直です 平成17年10月1日

 気象が激しく動くと昔は天変地異と恐れました。その言葉には、おどろおどろしい世界の到来、不吉な予感を増幅させる思いも込められていたと思います。キュヴィエというフランスの学者が今から二百年ほど前に、「天変地異説」を唱え、進化論に反対したと辞書にありました。それによると、天変地異で、僅かに生き残った生物が新たに世界に広がっていくと唱え、さらに、天変地異ごとに神によって生物が創造されると主張して、進化論に反対したそうです。
 昨今の異常気象を思うと、SF(空想科学小説)めいてはきますが、全能なる神が、自分勝手に振る舞う人類に鉄槌を下していると、信じたくもなります。地球温暖化の引き金を引き続ける人類の悪業は、温帯(亜熱帯?)国日本を熱帯国へ変えようとしています。時間雨量50から60ミリメートルが常態化した日本は、日常生活の仕組みを変えないと、自然のしっぺ返しはより強烈なものとなります。
 入間市は地域からの行動として、さとやま加治丘陵(約424ヘクタール)を保全活用し、温暖化防止に果たす緑の役割の重要さを考えながら、可能な限り緑の保全に努めていきたいと思います。

第132話 現実となった人口減少時代 平成17年9月1日

 戦後の日本は人口も、経済も、そして社会の諸制度を含めてすべてが「拡大志向」でありました。それは運も味方に付けて、土地神話をはじめ数々の神話を生み出すほどの成功を収めました。不沈空母日本丸が、よもや戦艦大和の航跡を辿るなどとは考えられないことでしたが、戦後50年に近づく頃、制度疲労はその極みに達し、日本丸は航行不能に陥りました。幸い懸命の修復作業が功を奏し、戦後60年を迎えて、経済については明るい展望が語られるようになりました。
 一方人口は、予測より早く減少(男性人口)が始まったことが、総務省の人口調査(3月31日現在)で明らかになりました。しかも、人口減少と同時に、労働力人口の減少と老年人口の急増というより深刻な人口問題を考えると、国民のセーフティーネットとしての年金、医療、介護などの諸問題の抜本的改革は、一刻の猶予も許されない状況にあります。
 しかし、残念ながらその議論は、その場しのぎの先送り論の感は否めません。国は早く改革案を示し、地方が誠実にこれを実行するという真の分権行政で国民の不安を払拭し、活力の実感できる国づくりが求められているのではないでしょうか。

第131話 「時」を考える 平成17年8月1日

 JR福知山線の脱線転覆事故は、日本社会の秒単位の流れを明らかにしました。それは社会的要請というよりも、会社の利益追求の結果とするならば、あまりにも会社の責任は重大です。
 強迫観念を辞書で引くと「考えまいとしても絶えず心を占有して頭から離れない考え」とあります。運転士がこの強迫観念に取りつかれ、「時間」という魔物との戦いに破れて、多くの尊い人命が失われたとするならば、これほど不幸なことはありません。限られた時間をいかに有効に使うかは人それぞれでありますが、「時間」を敵とする愚は避けたいものです。
 そもそも「時」というものは、形としては見ることはできません。人間は、日、月、年と「時計」を考え出しましたが、それは単なる符号に過ぎません。
 哲人ルソーは「最も長生きした人とは、最も多くの歳月を生きた人ではなく、最もよく人生を体験した人だ」と言っています。意味の深い言葉です。
 「歳月は人を待たず」ではありますが、人生80年、慌てて追い掛けることはありません。
 時計とは関係のない「自分の時」をつくって、より良い人生を考える境地に、少しでも近づきたいものと思います。

第130話 一戸一灯運動 平成17年7月1日

 中国の古文にある「蛍雪」は、貧しい学徒の辛苦の様を、蛍の光と雪の明かりまでも利用して学んだと表現したものですが、人と自然のつながりの濃さを思います。
 時代は変わり、徳川末期の江戸を訪れた外国人は、その清潔な町並みに一様に驚いています。江戸庶民はムダを廃し、徹底した再利用で、今風に言うならば循環型社会を構築した先駆者であり、日が落ちたら休むという自然派でもありました。
 そして戦後、落語家林家三平師匠は「朝は朝星、夜は夜星、昼は梅ぼし(星)をいただいて・・・」と人々の働き振りを風刺して人気を博しました。
 今、平成の世は、昼夜は単なる時間の区切りであり、生活の目安ではなくなりました。夜は闇という自然の節理の中で、昼働き、夜は休むという生活様式は過去のものとなり、夜働く人々も増えてきました。そして治安の悪化とも重なり、明るい夜を、のニーズが高まっています。
 地球温暖化防止、静穏な夜を求める声には反しますが、今一戸一灯運動を進めています。市民の安全を優先し、門灯、玄関灯などの外の灯りを点灯して、少しでも地域を明るくしようとするこの運動にご協力をお願いいたします。

第129話 甦(よみがえ)るか もったいない 平成17年6月1日

 「もったい(勿体)ない」は、そのものの値打ちが生かされず、ムダになるのが惜しいという意味と辞書には書かれています。私たちの子どもの頃は、物を大切にすることの同義語として日常生活の中でよく使われた言葉です。ここ数十年、高度成長の流れの中で大量生産、大量廃棄の風潮が強まり、消費は美徳などという浮かれた言葉が一人歩きし、「もったいない」は死語同然になってしまいました。ところが、今、ワンガリ・マータイさんというケニアの女性が、国際語MOTTAI NAIとして生き返らせようと運動を始めました。
 マータイさんは2004年のノーベル平和賞に輝いたケニアの環境副大臣で、環境問題で平和賞を受賞したのは彼女が初めてということです。
 「もったいない」は循環型社会を実現し、飢餓や貧困を克服するためのキーワード、として汗を流している彼女に頭が下がります。そして、自分自身の生活が「もったいない」とは懸け離れたものとなっていることに、恥ずかしさと自責の念を強くします。
 一人ひとりが「もったいない」の意味の大切さをかみしめ、実践の一歩を踏み出すことが必要な時代となりました。

第128話 愛・地球博 自然の叡智 平成17年5月1日

 今、愛知県で自然との共生をテーマとして万博が開かれています。冷凍マンモスの頭部のミイラ、人類最古と思われる頭部化石(展示物はレプリカ)や、人の行動を理解し、反応するロボット等も登場して評判を呼んでいます。各国パビリオンも含めて自然との調和に配慮していることは、近代科学と自然の共生に一つの方向性が示されたものと思います。また、日本の戦時中の民家も展示して先人の暮らし振りを偲び、多くの日本の物づくり技術が紹介されていることは意義あることと思います。
 このように順調にスタートした万博でしたが、食中毒予防等を理由として「弁当等の会場内持込禁止」の措置には大ブーイング、小泉総理の一声で撤回されました。入口で捨てさせられた飲食物の山を見たとき、誰もが首をかしげたことと思います。自然との共生は危険と隣合わせであることを考えると、食中毒(集団食中毒は別)対策は自己責任で、と求めても当然のことと思います。持ち込み禁止は会場内の飲食店対策等と陰口も聞かれますが、あまり商業主義が突出したのでは、自然の叡智も鈍るということではないでしょうか。

第127話 きずなを思う 平成17年4月1日

 人とのつながり、地域などへの愛着を語る言葉として「きずな」があります。自由を束縛するという意味もあるようですが、一般的には断つに忍びない恩愛とか、離れがたい情実(広辞苑)と解されています。
 昨年の中越大地震で、全村避難を余儀なくされた山古志村の人々の、悩み、苦しみが報じられるとき、断ちがたい村への愛着と村人たちの固いつながりを総括して「きずなの強さ」と表現されました。人と人、人と地域(自然)のつながりの大切さを感じさせます。
 入間市が進めていた狭山市との合併は、残念ながら実現しませんでした。反対理由の一つとして「入間市」の名が消えることに対する拒否反応が多かったことを考えるとき、ここにもまた、きずなの重さを思います。
 社会は今、数字の組み合わせ(デジタル化)による電子社会の構築が進んでいます。合理性、利便性を求めるとき、当然の選択ではありますが、しょせん、機械は単なる道具であり「心」はありません。電子社会で発生する事件、事故を考えるとき、機械を媒介とした人のつながり(きずな)は、大変もろいことを知るべきと思います。

第126話 選挙 平成17年3月1日

 イラクの暫定国民議会選挙が、テロの激化する状況の中で実施されました。投票率が心配されましたが、数百件の襲撃予告にもかかわらず非公式ながら60%を超えたと発表されました。新聞は「命がけの選挙」と表現していますが、誇張ではないと思います。民主主義国の主流は間接民主制ですから、選挙の成否は民主主義の存立意義をも左右しかねません。
 民主政治の成否は、政治家の資質によることは当然でありますが、その政治家を選んだ国民(選挙民)の熱意と良識によって決まります。先進国(成熟社会)では、一般的にあまり投票率は高くありません。イラクの選挙結果は、今後の国際関係の安定化に大きく寄与することが期待されているだけに、厳しい中での高投票率は多くの国に好感を与えています。
 今月の13日は、入間市の市議会議員選挙が行われます。昔は最も投票率の高い選挙でしたが、昨今は50%台と低迷の状況です。イラク国民の勇気に学びつつ、誰のためでなく、自分自身のためにある選挙ですから、多数の方が投票所に足を向けられるようお願いいたします。

第125話 「福」とするために 平成17年2月1日

 人類の”歴史”は、数々の試練に耐えることでつくられたと言っても過言ではありません。多くの巨大、強力な動物たちが消滅する中で、私たちのご先祖は順応性と忍耐力をもって生き永らえてきました。耐えるというよりもむしろ、試練をうまく利用して進化を遂げてきたというのが正解と思います。
 地球環境の変化に対応するために獲得した二足歩行が、無限の可能性を秘めた手を発達させ、火を発見したことによって生活環境を大きく変えました。自然のリズムに合わせて進化を加速し、地球の王者として君臨する人間が、進化の歴史を忘れ、自然界の全ての仲間をも征服しようとしたところに、人類の悲劇が始まったと思います。環境に順応することによって進化し、道具を控え目に利用した祖先の知恵に学ぶことは多いと思います。
 昨年は天災、人災と呼んでその恐怖を総括するような災害が日本のみならず、世界の国々を襲いました。災いを転じて福となす祖先の知恵を今一度検証し、「物」にはわずかの幸せを思い、「心」に大きな幸福を求める「くらし」を真剣に考える年にしたいものです。

第124話 暖かい心を被災地へ 平成16年12月1日

 今月からまた歩キ目デスをよろしくお願いいたします。この稿を休んでいる間に、いくつかの大きな出来事がありました。
 日本に上陸した台風10個は新記録、幸い入間市では大きな被害もなく好運でありましたが、各地に大きな災禍をもたらしました。
 入間市では第59回国体、なぎなた競技会が開催され、市民の皆様の大変なご協力をいただき、大成功裡に終了できたことは、うれしいことであります。
 そして、国体開始式の前日、10月23日には、地震の強さとしては阪神大震災を上回るという、新潟県中越地震が発生し現在も強い余震が続いています。荒ぶる自然を押さえることは不可能ですが、人間の知恵と工夫によってその被害を軽減することは可能です。自助、互助、公助は災害対策の基本ですが、これらがうまく補完し合ってこそ、適確な被災者の救援につながるのだと思います。お見舞いを述べ、お悔やみを申し上げるのは簡単ですが、被災者の願いは一日も早い安全な住まいの確保でありましょうから、形のある支援が何よりも必要と思います。もてなしの心日本一の入間市民の暖かい心を、義援金募集にお寄せください。
 よいお年をお迎えください。
 (11月9日記)

第123話 三位一体 平成16年8月1日

 少子高齢化が急速に進む中で、年金、医療、介護といった国民の安心安全弁が錆び付いています。目先の快楽に心奪われ、宴の後始末を軽視した結果の、当然の報いと思います。
 そして、地方自治体もピンチに立たされています。小泉内閣の推進する三位一体の改革が大きく動き出し、地方自治体に混乱が起きています。収入の主要な部分を占める補助金地方交付税が大幅に見直され、それを補てんする措置としての税源移譲がはっきりしないためです。
 三位一体とは、宗教的意味合いのほかに「三者が協力して一体となる」意と解されていますが、改革の中味は三位ばらばら、財源カットの趣が強く、地方の反発を呼んでいます。もちろん、国土の均衡ある発展に名を借りたバラマキ主義を見直し、地方自治体に対して、自主自立のまちづくりが求められていることは当然のことでありますが、改革の先に何があるのかをはっきり示す責務が、国にはあります。
 まさに、国と地方、そして国民が協力して一体となれるような国家像が示されることによって、三方一両損が納得されるのではないかと思います。

第122話 人を鏡として 平成16年7月1日

 「口は禍の門」は、古くから戒の言葉として伝えられています。そして、この諺(ことわざ)を実感できるような「舌禍」が次々に起きています。特に、本来最も重くなければならない政治家の発言に、軽さが目立ちます。大向こう受けをねらって、とは言いたくありませんが、マスコミ報道を意識してとび出す言葉には、政治家としての見識を疑うような発言も多くあるように思います。
 先人は、神ならぬ身の人間が、人の非を難ずるときは、その報い、反発の大きさを覚悟して行うべきことを、教えています。「人を呪わば穴二つ」とは悍(おぞ)ましい言葉ではありますが、人生体験から発せられた警句と思います。
 中国の思想家墨子は「君子は水を鏡とせず、人を以もって鏡となす」と教えています。水を鏡とすれば自分の顔を映すだけであり、他人の行動の中にこそ自分を導く手本がある、という程の意といわれています。スピードが競われ、自己中心的主張が社会正義の名の下に正当化される時代背景の中で、自らを省みる心のゆとりと、他者の長所を称える寛容さこそが、人」の住む社会にあって最も大切なことと思います。
 我が身こそ、まず省みることの多きことに愕然としつつも。

第121話 ごみ捨てて、心も捨てて 平成16年6月1日

 春から初夏の入間市は、まさに緑の嬌艶(きょうえん)、満足の一時が流れます。芽吹きから若芽への変化は、人々に安らぎを与え、生きる喜びをもたらしてくれます。
 季語に「山笑う」とありますが、深奥から迸り出る生への執念を感じさせ、小さく生きようとする人間たちへの激励のメッセージとも受け止められます。
 このような緑に感謝しつつ、目を足元に転ずると、そこには嫌悪と緑望的光景が繰り広げられています。粗大ごみから生活ごみまであらゆるごみがポイ捨てされ、緑に酔った心に不快の思いが流れます。
 「600万円」、この数字は、これらの不法投棄されたごみ処理に直接使われる年間費用です。毎年6月は、市民総出の清掃活動が展開されますが、気持ちの良い日は3日と続きません。一部の人々の、何気ないポイ捨ての心が社会全体の風潮に変化するとき、その地域は荒廃し、衰退します。ポイ捨ては、ごみを捨てるだけでなく、人としての心も捨てているのです。
 と、ここまで書いて気付いたことは、歩キ目デスを読まれる方に、このような心の淋しい人は居ないということでした。
 この思い、誰に伝えるや。

第120話 甲羅に似せて 平成16年5月1日

 「分相応(ぶんそうおう)」という言葉がありました。辞書にも載っているので死語になったわけではなく、あまり耳にしなくなった言葉です。また、使い方によっては不公平、不平等、貧富の差などを容認、正当化する言葉、と受け取られる場合もあります。
 しかし、江戸時代を生きた庶民階層は、自然とほどほどに付き合い、欲を抑えて一日を満足して生きるという、分を心得た生活の達人ともいわれます。貧しい生活ではあっても、常に我慢の心を持ちながら、自然のリズムに生活を合わせた江戸の人々の知恵を思います。
 この分相応と同義語に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」があります。かつてバブル経済が進む中で、私たち日本人は甲羅に不似合いな、とてつもなく大きな穴を掘りました。天罰てき面、大穴がどさりと落ちて長い間もがき苦しみ、経済的にはやっと脱出口が見えてきた状態です。反面、分不相応とも知らず破壊した豊かな自然は、これを回復するのに気の遠くなるような時間が必要です。
 天が与えてくれた「節」を守り、天に唾(つば)する愚を先人の生き様から学びつつ、心豊かに自然との共生を考えたいものです。

第119話 親の顔 平成16年4月1日

 昔、手に負えないわんぱく坊主、無作法な子どもを見ると、まゆをひそめながら「親の顔が見てみたい」というような言葉が使われました。
 優等生に対してはあまり聞かれなかったことから、ある意味において蔑視の意をもった言葉とも言えますが、子どもの成長にとって如何に親の存在が大きいかを知り、またその責任を自覚した人が多かったからこその批判であったと考えることもできます。しかし、NHKテレビでは、有名人親子のトーク番組に「親の顔が見てみたい」とタイトルを付けていますから、あまり難しく考える必要のない言葉でもあります。それは別として、少なくとも義務教育期間中の子どもの生活を守るのは親(保護者)の責務であり、社会はその補完的役割を果たすのが本来あるべき姿です。人権が尊重され、自由を謳歌している日本社会で、子どもを廻って忌わしい事件が多発しているのは何故でしょうか。
 人の顔が見え難い社会は、地域社会の濃厚なつながりを大切にしてきた日本人にとって、戸惑いの社会なのかも知れません。先人の遺した数々の言葉の意味を、今一度噛みしめてみることも必要と思います。

第118話 春 五感を磨いて 平成16年3月1日

 わたしが小学生の頃、春になると必ず屋外写生で桜の花を描かされました。クレヨンから水彩と移りましたが、色彩感覚が乏しかったのか、桜の色を出すのに苦労したのを覚えています。じっと見ているうちに色が変わっていくような錯覚にとらわれ、重ね塗りして叱られました。
 昔の春はとにかく表情豊かであったように思います。そして春の喜びは、厳しい冬があるからこそ強くなることを、体で感じることができたのは幸せでした。
 こんな古き時代を偲びながら、現代っ子に思いを馳せるとき、すべての人に与えられている五感をどのように磨いているのか気になるところです。人工的環境が整えられるに従って、本能的な感覚は鈍り、衰退するのは当然として、この徴候が子どもたちによりはっきりと出ているように思えてなりません。
 社会の安全にとって一番大切な緊張感のある人間関係、理解と協力の心が、五感の衰えとともに独善と排他の傾向を強めていることは憂うべきことです。
 山に分け入り、川に遊び、入間の四季を五感で感じられるような教育の充実を、皆で考えていかなければならないと思います。

第117話 お正月 平成16年2月1日

 今年の三が日は暖かく穏やかで、初日の出も「お日様」と呼ぶにふさわしく、実に見事なものでした。
 私の子どもの頃は、11月に入ると厳しい冬の寒さが始まり、正月は寒気肌を刺す中で迎えました。貧乏な家でしたが一通りのお正月の準備はします。門松を支える門など無いので、10センチメートル以上凍った土を掘り返し立てたものです。道路も、土と砂利半々ですから、冬になればコンクリートのように固く凍り付きました。
 しんと静まり返った元日の朝、いてついた道を行き交う子どもたちの下駄の音がカラコロと響きます。真新しい下駄に心躍らせ、親戚、知人に配る書き初めを持った子どもたちの手に、帰りには、なにがしかのお年玉が握られています。書き初めは、神棚や鴨居につるされ、大人たちの評価を受けました。
 ものの無い時代に育った私にとってお年玉は宝物、あの内心の得意と喜びは今も忘れません。
 今、少子化の中で大切にされる子どもたち、その手に渡されるお年玉にどんな喜びを感じているのでしょうか。
 切り捨てられた古き良きものの大切さと、伝承の意味を考える一年にできればと思います。

第116話 時の流れに身を委せ 今年も終わります 平成15年12月1日

 はや師走、たゆたう大河に身を委ね、その流れ行く大海に思いを馳せることもできぬまま、今年も終わろうとしていることに悔いが残ります。時に、それは時代という不可思議な魔力を持つ流れに装いを変えて、人々を呑み込み翻弄します。そして一筋と見えた時代の流れは幾筋もの小川を操り、私たちを迷わせます。
 すべてを数値化して、便利を加速するデジタルの流れ、数の連続性にこだわりつつ小川のせせらぎにも似たアナログの流れは、価値観だけでは割り切れない問題をわれわれに突きつけます。
 いずれにせよ、流れの中にあってはその川筋は見えず、流れの本質を見抜くこともできません。思い切って流れから抜け出し、岸辺に座して流れの先にある渕や荒瀬を確認することも必要です。移り行く岸辺の風景を自らの変化と錯覚し、ただ、流され行くわが身の危険を知るために、過ぎ来し方を振り返り、行くべき先に自らを重ねることは、岸辺にあってこそできることです。うねる時代の流れすらも、自らの流れ行く先を知らず、滔々(とうとう)と流れています。
 大山鳴動 マニフェスト一枚 宙に舞い
 よいお年をどうぞ。

第115話 江戸開府400年 江戸っ子はがんばった 平成15年11月1日

 今年は、江戸に徳川幕府が開かれて400年に当たります。日本の歴史の中で、この徳川時代は、平安時代と並んで大きな争いのない時代でした。幕藩体制が多くの悲劇をもたらしましたが、反面、江戸中心の統治形態が諸国(藩)の人や物の交流を促し、江戸文化といわれる庶民文化も生み出しました。当時江戸を訪れた外国人は、整然とした街並み、清潔な生活環境に驚き、江戸は世界一美しい都市と称賛したと伝えられます。
 「宵越しの銭は持たなかった(持てなかった?)」江戸っ子は、粋を身上として、物を大切に、し尿は土に返すという循環型社会をつくりました。
 そして、困ったときには、お隣さんのお節介と町内世話役の親切で、その場を凌ぐという一見投げ遣り的な生活も、よく考えれば、手にしたお金はすぐに使うことによって金の還流を促し、経済を活性化するという理にかなった生活スタイルとも考えられます。
 不安の多い現代にそのまま通用する筈もありませんが、現在の生活が充実してはじめて明日があるという江戸っ子の生きざまは、我々に多くの示唆を与えてくれるように思います。
 江戸は遠くて、実は近い時代です。

第114話 神無月 平成15年10月1日

 十月は神無月(カミナヅキ)。八百万(やおよろず)の神々が出雲に大集合するため、他は留守になることからこう呼ばれたとも言われています。何のためかは分かりませんが、出雲大社といえば縁結び、多分良縁の情報交換、さしづめ結婚サミットといったところでしょうか。
 人は、人智の及ばぬことを悟ったとき、神仏のご加護を祈り、不可思議な現象に神の姿を求めます。それぞれ宗教観は異なりますが、狩猟農耕の民であった日本人は、特に自然崇拝を通じて生きる規範を導き出し、生活の平安を願ってきたように思います。「おてんとう様が見ている」「バチが当たる」といって不道徳行為を戒め、「雷様にヘソをとられる」といって子どもたちの寝冷えを防ぎ、健康を守らせました。山川草木、超自然現象に神の姿を信じた人々は幸せだったと思います。
 時は変わり、機械万能、モノ信仰に振り廻される現代は「砂上の楼閣」、安住の場とはいえません。今こそ、自然に親しみ、自然を畏れた先人の生きざまに学ぶことは大切と思います。
 時は秋、自然は大きく、山の神は優しく招きます。

第113話 少年事件に思う 平成15年9月1日

12歳の少年の幼児殺人事件は、人々に大きな衝撃を与えました。人の命が奪われることについて、どのような状況であれ、その重さに変わりはありませんが、加害者の年齢を思うとき、言葉を失ったのは私ばかりではないと思います。少年事件が発生した時、常に加害者の年齢、人権が前面に出て「何故」の真相が明らかにされず、心の闇の問題として総括されます。
 しかし、わずか12歳の少年の残忍、異常な行為を「心の闇」に閉ざしてしまってよいのでしょうか。そして、残念ながら、専門家の評論は、必ずしも説得力のあるものではありません。
 率直に思います。12年という短い時の流れであるからこそ、何らかの鮮明な異常サインは発せられていたのではないかと。それを一番よく察知し得るのは、両親であると思います。子育てに悩む親は多くおります。サインを見過ごしたために、不幸になる子もいます。もし何かあったとするならば、贖罪の思いをも込めて我が子の真実の生長記録を明らかにして、社会に警鐘を鳴らし、命を奪われた幼な子の鎮魂を祈るのが、人としての責任とも思います。
 命の重さと、人権の議論をもっと深めるべきではないでしょうか。

第112話 真夏の夜の夢物語 平成15年8月1日

 人類のルーツは、猿人の一グループから原人、旧人と進化を続け、遂に現代人(新人)が誕生、というのが定着化した学説のようです。しかし、その進化の過程は不明の部分も多く、例えばジャワ原人、北京原人、ツルナカ原人、旧人に属するソロ人、ネアンデルタール人などがそれぞれの地域で進化して現代人になった(多地域進化説)と考える専門家も多かったようです。
 ところが最近、エチオピアで発見された16万年前の人骨の化石などを分析した結果、現代人の祖先はアフリカで誕生した可能性が高くなったと発表されました(アフリカ単一起源説)。この説が認められれば、学問上はすべての人間は同じ祖先をもった兄弟姉妹ということになります。
 折しも日本においても、弥生時代(稲作文化)が五百年程遡る新しい発見があったと伝えられています。私たちにより近い祖先も、開明、開国の思想を持って、国づくりに勤しんでいたことが偲ばれます。
 未知なる宇宙への夢に心踊りますが、古代のロマンもまた、人の心を揺すります。こんなことを考え始めたら、真夏の夜の夢は結べなくなりました。

第111話 再び、地方分権を考える 平成15年7月1日

 日本は、長い間デフレ不況に苦しんでいますが、効果的な対策は見つかっていません。原因が単純なものでないだけに、事態は深刻と言わざるを得ません。そのために、日本特有の護送船団方式を解体して、国際的要請に応えられる体制づくりも進められています。とは言うものの、痛みを伴う改革は反対も多く、かけ声倒れに終わっているものもあるようです。
 地方分権は、形式的な権限委譲は進んでいますが、実質的には、中央集権体制が続いています。地方分権改革推進会議も、三位一体の改革をめぐって、その議論は全くかみ合わず、強引な取りまとめに批判が出ています。地方悪玉論と既得権益擁護論の衝突で、国民には理解しにくい議論です。
 権限とそれにふさわしい財源が委譲され、地方も、信頼される受け皿を用意できなければ、真の地方自治の確立はありません。血税を、国と地方で奪い合う姿を、国民は見たいとは思っていないはずです。改革論議を通じて、どう税金が生かされていくのかを説明するのが、国と地方自治体の責任です。充実した地方自治とスリムな中央政府の実現こそが、衰退する国家を活性化する最良の方法と思います。
 (平成15年6月10日記)

第110話 NPOに期待します 平成15年6月1日

  NPOという言葉を目にし、耳にすることが多くなりました。個人的な利益を求めることなく、社会的利益の増進のため活動している団体です。市内でも福祉、環境等多様な目的を持ったNPO法人が活動していますが、最近、加治丘陵をはじめとする森林の管理を目的とする NPOが誕生しました。
 入間市には、平地林の他に、430ヘクタールの里山、加治丘陵があります。豊かな自然を開発から守り、次世代に引き継ぐために公有地化を進め、取得した土地も39ヘクタールを超えます。
 里山は、手入れを怠れば荒廃が進んで、その生態系も乱れます。このため多くの団体が加治丘陵に入って、枝打ち、下草刈りなどで頑張っておられます。
 今回、法人化された山林管理グループが生まれたことは、大変心強い限りです。会員千人を目指していると聞きます。その意気や、壮!
 広大な山林を管理するためには、多額の費用と数々の困難や危険を伴います。自分を安全地帯に置いて環境保護を叫ぶことは簡単ですが、もうそのような時代は終わりました。汗を流して活動するNPOに期待し、共に努力していきたいと思います。

第109話 歩キ目デスの願い 平成15年5月1日

 薫風心地よく、流す汗に快感を覚える季節になりました。
 「歩キ目デス、楽しく読んでますよ」お世辞と知りつつ、にんまり。
 「堅苦しい、今少し遊び心を入れたら」いよいよ本音、ちょっと身構えます。
 「仕事柄、色々な集まりに出ると思う。そこで拾ったいい話を紹介してください」ごもっとも。受け売りのそしりを受けぬよう注意しながら、考えたいと思います。
 キョロキョロ、ヨチヨチさまよい歩き、時に路傍の石としてけ飛ばされ、時にあだ花を咲かせて、歩キ目デスの現在があります。尊い税金によって作られる広報紙の貴重な一コマを与えられてこれを埋める作業は、450の一文字、一文字に神経を使います。物書きでない私が、恥を忍びつつ、つたない文章を書き続けるのも、広報紙という市民と行政をつなぐ太いパイプが詰まらないよう、少しでも役立てればの思いにほかなりません。歩キ目デスを媒介に、広報紙の多くのページに関心が集まれば、この上の喜びはありません。
 スポーツの汗は快汗ですが、拙文でかく汗は冷汗です。三斗ならぬ一斗位で止められるよう努めます。
 くれぐれも広報紙をよろしく。

第108話 地方自治・本当に変われるのか市町村 平成15年4月1日

 最近の地方自治は、住民自治意識の高まりに比較して、国と地方自治体の関係は、制度的しがらみから抜け出せず、自治とは名ばかりの中央集権が続いています。
 確かに法制度は整備され、日本の市町村制度は、世界に誇れる制度です。だからこそ、生活保護、国民皆保険、介護保険制度等の社会保障制度が、スムーズに機能しているのです。
 しかし、ここに大きな問題があります。それは、こうした諸制度(シビル・ミニマム)を維持運営するために、国は、全国3,200余の市町村等を対象に、国庫補助金、地方交付税という名の財政支援(保障)を行っていますが、その財源が底をつき、地方交付税だけでも約 49兆円もの借金を余儀なくされているということです。こんなことを続けていたら、国も地方も破たんすることは目に見えています。これらを根本的に改革するためには、一つ一つの自治体が、名実共に自治の名にふさわしい体力を付けることが必要です。一言で言えば、これが市町村合併です。
 地方自治体が変わることによって、中央集権的国家体制も変わらざるを得ません。真の地方自治制度を確立するために、今、正念場を迎えています。

第107話 地方自治・嵐こそ好機 平成15年3月1日

 民主主義社会の実現は、地方自治の確立如何(いかん)によります。
 地方自治は民主主義の学校といわれる所以(ゆえん)です。日本は戦後半世紀が過ぎて、法律、制度の整備は進みましたが、その実態は、大正デモクラシー社会と大きな違いはないといわれています。
 経済環境は別として、中央集権的行財政制度など、政治のあり方はあまり変わっていません。ただ、政党の権力争いにつけ込まれて、軍部の台頭を許し、不幸な戦争を起こした過去は大きな教訓となっていますが。
 戦後民主主義も、膨張する経済に浮かれて、中央集権的民主主義(?)を謳歌(おうか)しました。そして、口では自治を叫びつつ、その実中央のコントロールに期待し、頼り切ってきたのが地方自治の実態でした。その結果としての財政破綻(はたん)が、国と地方の役割分担見直しの契機となったことは不幸中の幸いと言えます。
 今こそ、基礎自治体である市町村が真の自立を図らなければ、未来は開けません。場合によれば市町村合併も、その重要な選択肢の一つとして真剣に議論しながら、自治確立の折角(せっかく)のチャンスを生かさなければと思っています。

第106話 地方自治・温室から寒風へ 平成15年2月1日

 日本は、サンフランシスコ講和条約に調印して、昭和27年被占領国から独立国となりました。それから50年、奇跡の発展によって先進国の仲間入りも果たしました。しかしこのことは、米ソ対立の狭間で、アメリカを後ろ盾とした工業化の成功による予想外の経済発展であり、その経済運営は、護送船団方式といわれる、数々の規制によって支えられた結果であることも事実です。
 富を産み出すのは経済の責務であり、その富を配分するのは政治の責任といわれています。その富がバブルの産物であると気付いた時は、既に官治政治(中央集権)によって富は、満遍なく、時に無計画に配分され、700兆を超える債務の山がそびえる(?)結果となりました。
 こんな日本を改革するためには、地方自治体が過度の国依存から脱却し、自らの足で大地を踏みしめることが必要です。市民の手による市民のための地方自治が動き出した時、日本の政治制度は大きく変わります。日本人は底力を持っています。寒風に立って、春を迎えるために努力しなければならないと思います。今年もよろしくお願いいたします。

第105話 来年こそは、と思いつつ 平成14年12月1日

 今年もまたか、今年は特にか、わかりませんが、国の内外を問わず事件、事故が続きました。日本では、人間として、また、自由主義社会において、最もあってはならない「ウソ」が主役の事件が多発したことは悲しむべきことです。
 また、街中の道路や林には、空き瓶、空き缶、食べカスが捨てられ、いかがわしい看板、ポスターが氾濫しています。恥や節度までが捨てられ、何でもありの社会は、規律なき自由主義社会、無秩序社会の見本のような姿です。
 しかし、明るいニュースもありました。小柴昌俊さん、田中耕一さんがノーベル物理学賞、化学賞に輝いたニュースは、多くの日本人に勇気や希望、自信を与えてくれました。「日本人も捨てたもんじゃない」から「日本人も大したもんだ」は受賞決定を聞いた小泉総理の感想ですが、自信家の総理なら「日本人なら当たり前」と胸を張ってほしかったと思います。
 世の中は、経済政策がこんがらかって百家争鳴、いつか来た道の大合唱はあまりにも無策、借金の山は高くなるばかりです。勇気ある政策によって、日本経済が早く蘇りを果たしてもらいたいものだと思います。
 来年を信じて。よいお年をどうぞ。

第104話 レクイエム グリーンロッジ 平成14年11月1日

 昭和46年4月1日、加治丘陵の一角、仏子山の中腹に、西洋の古城を思わせる、瀟洒(しょうしゃ)な建物が出現しました。時の市長三吉道雄氏の意を受けて設計された、国民宿舎「入間グリーンロッジ」の誕生です。”公営モーテル?”と週刊誌に揶揄(やゆ)されて、市長を激怒させましたが、豊かな自然環境と、秩父連山や夜の飯能市街の眺望は大変魅力的であり、多くのファンを生み出しました。
 近隣国民宿舎が次々閉鎖する中で、グリーンロッジは苦しい経営ではありましたが、公営宿舎らしからぬ(?)職員の暖かい接客が人気を呼び、大きな赤字も出さずにがんばってきました。
 しかし、30年が経過し、建物は老朽化が著しく、累積赤字も積立金とほぼ同額にまで膨らみました。国民宿舎は名前の通り市民だけではなく、広く国民の利用できる施設です。このような施設に市の税金を注ぎ込むことは、より慎重でなければなりません。
 あらゆる角度から検討し、やむを得ぬ策として閉鎖を決断いたしました。断腸の思いです。あのとんがり帽子の展望塔が、懸命に生存のサインを送っているようにも思えます。
 破壊は一瞬、心は揺れます。

第103話 学校週5日制・生きる力を育む 平成14年10月1日

 教育改革が揺れています。一度はゆとり教育に傾いた文部科学省が、学力低下を懸念する声に押されて、学力重視に軸足を移したように見えます。
 教育が、学力を重視することは当たり前のことですが、単にそのことのみにこだわり、詰め込み教育に走って、物識り人間をつくることに疑問を感じます。
 「人は、教育によってのみ人たり得る」とは、哲学者カントの言葉と聞きますが、人たり得る教育とは、まさに生きる力を育むためのものであり、社会の一員として、感性豊かに生きるために、何を学ぶべきかを教えることが求められていると思います。
 読み、書き、ソロバンのみによって「人」はつくれません。人(家庭、社会)と向き合い、人を理解し、自然とふれ合い、その大切さを知ることのできる者が、生きる力を持った人となり得るのだと思います。
 知識は生きるための便法であり、人たり得る者が身につけてこそ、その意義が深まります。言い換えれば、体験と知識が融和して、初めて、生きる力を備えた人がつくられるのであり、そこに真の教育の意義があるように思います。

第102話 学校週5日制・ゆとり 平成14年9月1日

 私の友人に昆虫学者(理学博士)がおります。
 「学者」といえば、「近寄り難き存在」と思われがちですが、この友人くらい明るく親切、気さくな人物はいないと思っています。
 現在は、ある大学の児童教育学科の教授の職にありますが、ある雑誌への特別寄稿文「子どもを自然と共生できる大人に」の中で、「心の教育は、それを受け入れる下地(readiness)のある子どもには有効だが、下地のまったくない子に下地をつぎ込むことはできない。教育は下地があって初めて効果を上げるのであって…」という哲学者加藤尚武氏の文章を引用しながら、「私にとっての下地は、母親の愛情と、生地のそばを流れていた『春の小川』の原体験ではなかったか」と述懐しています。現在の教育論(特に幼年期)は、下地の議論よりも、学力優先主義に傾き過ぎてはいないでしょうか。
 「人も自然の一員」と捉え、「人工型社会」に警鐘を鳴らす友人の理念を、少しでも実践できたらと思っています。
 その下地の一つとしての加治丘陵が、子どもたちに何を語ってくれるのか、今その教室づくりが始まろうとしています。

第101話 宴の後は、さわやかに 平成14年8月1日

 初ものづくし(21世紀、アジア、二国共同開催)のサッカーワールドカップは、成功裏に幕を閉じました。1カ月間、一つの競技にこれほどまでに熱狂した経験は、これまた初めてであったと思います。
 民族、国家を激しく前面に出しながら、終了のホイッスルで、互いに友情を確認し合う選手の姿を見ると、まさに世界は一つを実感いたしました。大会関係者の労を多とし、プレーヤーの一員とも言える強力なサポーターの存在に敬意を表したいと思います。
 4年後はドイツ大会です。これから、百家争鳴の総括が行われると思いますが、4年後に実を結ぶ建設的でさわやかな議論であってほしいと思います。そして、子供たちに数々の感動の意味をどう理解させ、指導に生かしていくかが問われると思います。
 金儲け主義のFIFA(フィーファ)といわれますが、その役割は、204の国、地域が加入し、わずか32チームのみが本戦出場という現実をしっかりと認識し、サッカー弱小国の育成に知恵を絞ることではないでしょうか。
 宴は終わりました。人は移り気、ワールドカップを常勝軍団の占有物としないための努力に、期待したいと思います。
〈7月5日記す〉

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