82會田津満全国巡礼関係史資料(あいだつまぜんこくじゅんれいかんけいししりょう)
納経帳(第1期)
雷よけなどの護符
頂像などの護符
日本地図の一部(九州)
万国人物図巻の一部
廻国巡礼塔
市指定文化財(古文書・令和6年5月1日)
江戸時代後期、二本木村山際(やまぎわ)(現入間市宮寺)の農婦會田津満(あいだ つま)(寛政10年~明治6年、1798~1873)が、嘉永元年(1848)から安政2年(1855)までの延べ7年間をかけて、全国の寺社仏閣を巡礼して満願を遂げた際の関係史資料である。
納経帳には、巡拝先の寺社仏閣の御朱印が綴られ、北は陸奥国(現宮城県)仙台から、南は薩摩国(現鹿児島県)鹿児島城下までの380カ所を数え、東北地方の寺社、坂東三十三か所、秩父三十四か所、西国三十三か所・四国八十八か所の各札所、さらに中国・九州の札所や寺社を巡拝したことがわかる。巡礼の期間は、第1期(嘉永元年4月~9月)、第2期(嘉永2年2月~4月)、第3期(嘉永4年4月~安政2年9月)に分かれ、特に第3期は4年8カ月にも及んでいる。
護符類は、雷除けや諸神社名などの護符、頂相・菩薩護符である。民間薬袋や日本国絵図とともに、津満が旅程の安全大事の願いや、不測の事態の備えに携えていたものと思われる。
「金毘羅山引札」「万国人物図巻」は、旅の土産と考えられる。「万国人物図巻」(縦26.5センチメートル、横858.5センチメートル)は、嘉永6年(1853)に長崎の新大工町(現長崎市新大工町)で津満が買い求めたものである。絵巻には、仮想の国も合わせて40か国の民族衣装を着た男女1組ずつが描かれ、説明が施されている。作者は長崎の町絵師・城義隣である。
津満の墓所には、第2期の巡礼が終わったあとの、嘉永2年(1849)11月に、津満の巡礼の意思を詠んだ和歌が刻まれた廻国巡礼供養塔が立つ。道標を兼ねていることから、もとは狭山丘陵の村山道沿にあったものといわれている。
巡礼の旅程や経費等を記した「道中日記」が残されていないため、津満の巡礼の目的や巡礼同行者の存在、長期に及ぶ資金の出所等には不明な点も残っており、今後の調査研究による解明が待たれる。
會田津満全国巡礼関係史資料は、行動が規制され旅が不自由な江戸時代において、一般の女性が、ただ一人で延べ7年に及ぶ歳月をかけて全国各地を行脚巡拝し、満願成就を果たした稀有のものである。江戸時代の当地域における女性の身分的・社会的状況を考究するうえできわめて重要である。
史資料の内、「納経帳 9冊、護符類 15点、護符の入れ物 1点、日本国絵図 1枚
民間薬袋 5点、金毘羅山引札 1枚、万国人物図巻 1巻」は入間市博物館が、「廻国巡礼供養塔1基」は個人が管理しています。
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更新日:2024年05月01日