旧黒須銀行 特別公開(休止中)

更新日:2024年04月23日

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イベントカテゴリ:催し物・イベント

「旧黒須銀行」と書かれたのぼりと二階建て瓦屋根の日本家屋の写真

旧黒須銀行の公開時の様子

令和6年度の特別公開はありません。

旧黒須銀行は、復元修理工事を行うため、当面の間公開を見合わせております。

※令和6年7月6日(土曜日)に、新札発行記念イベントを計画しております。内容が決まりましたら、入間市博物館ホームページにてお知らせいたします。

黒須銀行について

二階建て瓦屋根の日本家屋の前に立つ人たちと自転車のモノクロ写真

大正9年(1920)頃の写真(繁田幸雄氏蔵)

株式会社黒須銀行は、道徳をもって勤倹貯蓄し恒産の基を作ろうという金融共済組織「黒須相助組合」を母体にして、明治33年(1900)2月、豊岡町大字黒須(現在の宮前町)に設立されました。資本金20万円、役員は頭取発智(ほっち)庄平、常務取締役繁田(はんだ)武平(翠軒(すいけん))など6人、顧問として日本経済界の重鎮渋沢栄一、創業者繁田満義らが就任しました。
「堅実主義と華客本位」を本旨とし、地域の基幹産業である製糸や機業などに融資して業績を伸ばし、入間郡内に所沢出張所、川越・入間川・松山の3支店を置きました。
零細な庶民の道徳の結晶である貯蓄を資本としていること、学校には有利な利子をつけ、利益の中から学校基本金や地元の公共事業に寄付をするなど資金を道徳的に運用していることなどにより、世間から「道徳銀行」と呼ばれました。「道徳経済合一説」を唱えた渋沢栄一は、このことを喜び、「道徳銀行」と揮毫して贈っています。
一時は県下第3位の銀行に成長しましたが、大正11年、武州銀行に合併となりました。現在の埼玉りそな銀行の源流の一つです。
現存する土蔵造りの建物は、明治42年に黒須銀行本店営業所として建てられ、昭和35年まで埼玉銀行豊岡支店として使われていました。昭和40年に「郷土民芸館」となり、その後土地建物は市に寄贈されました。平成6年に博物館が開館するのに合わせて閉館し、市指定文化財である建物は博物館へ移築する予定でしたが、現在は現地で修理し、西洋館など豊岡地区に多い歴史的な建物と一体での活用をはかっていく方針です。

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