83老茶樹跡 付老茶樹樹幹、関係資料(おいさきあと つけたりおいさきじゅかん、かんけいしりょう)

更新日:2025年06月02日

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現在の老茶樹

現在の老茶樹

園主中村善吉と老茶樹

園主中村善吉と老茶樹(写真絵葉書)

老茶樹古写真

老茶樹古写真

市指定文化財(史跡・令和7年6月1日)所在地 二本木地区

老茶樹という呼称は、昭和10年代に枯死した樹齢約320年の古木(樹高5メートル、根回り56センチメートル、茶樹面積4平方メートル)と、現存する茶樹群(樹高3メートル、畝幅2メートル、畝長10メートル)とを併せてのものである。
 枯死した老茶樹は、中村家の口伝によると初代権左衛門が、慶長年間頃(1596~1615)、山城国宇治地方(京都府)から持ち帰った種子を自宅の庭に蒔いて育てたと伝えられている。明治時代にはその存在や希少価値から、「狭山名勝天然記念物大角力(番付)」(明治9年)に掲載されており、現時点においても樹幹等で確認しうる県内最大の樹高を持つ茶樹であった。
 明治17年には、埼玉勧業課の有志や製茶機械の発明者になった高林謙三などから「茶園元祖」としての寄附があり、明治35年には国から茶園栽培試験委託の指定を受け、全国に知られるようになった。この古木の見学に植物学者の牧野富太郎や、「やぶきた」育種家の杉山彦三郎、大著『ALL ABOUT TEA』(1935年)を著したウィリアム H ユーカーズなど多くの研究者・茶業技術者・政治家等が訪れている。
 現在はこの茶樹の種子から実生で育てたとみられる茶樹群が畝を成し、これも老茶樹と称している。かつての老茶樹を撮影した古写真には、周囲に茶樹群が映っているが、現存する茶樹群に継承されている可能性がある。この生育状況は、日陰ではあるが中村家の栽培管理がよく行き届いて良好である。
 なお、関係資料として、樹幹(枯死した幹)や明治期の文書、参観人芳名録、老茶樹を撮影した古写真が残っている。
 老茶樹跡は、武蔵国の茶業史において、中世の河越茶・慈光茶が衰退したのち文化文政年間に狭山茶として復興するまでの、文献史料上の空白期間をつなぐ歴史的価値とともに、狭山茶業発生の記念碑的な場として重要である。

注)見学について

私有地のため無断での立ち入りはご遠慮ください。見学をご希望の場合は、事前に博物館文化財担当へお問い合わせください。

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