80 石川組製糸関係資料(いしかわぐみせいしかんけいしりょう)
石川組製糸とは
石川組製糸は、明治時代から昭和初期にかけて入間地方の産業を牽引した会社です。大正11年度の横浜への生糸出荷高では全国第6位になるなど、全国でも有数の製糸会社として名を馳せ、工場も入間市内に3ヵ所(本店、第二、第五工場)、埼玉県内他地域に2ヵ所(第三、第四工場)、福島県、愛知県、三重県、福岡県に1ヵ所ずつ保有していました。
しかし、関東大震災による生糸の焼失、金融恐慌や化学繊維の誕生におされて、昭和12年に会社は解散することとなり、経営等に関する資料は散逸、減失したものが多く当時の石川組製糸の状況を知る手掛かりは限られています。
今回新たに指定された関係資料は、石川組製糸の状況を物語る貴重な歴史資料であり、今回の指定により今後石川組製糸に関する新たな資料が発見されることが期待されます。
市指定文化財(歴史資料・令和2年7月1日)
「石川家土地台帳」は、大正時代から昭和期にかけての石川組製糸・石川家の土地の集積および開墾等による地目変更の経緯を示した1冊の帳票類で、土地を集積することで収益を蓄えていた同社の経営方針を知ることができます。
「石川家芳名帳」は、石川組製糸・石川家を訪れた人々になる全2冊の揮毫帖である。揮毫(来訪者)は、大正7年から昭和20年代を中心に、200人以上におよびます。
「筑前石川組製糸関係書簡群」は、石川組製糸の衰退期に当たる昭和5年から6年頃に筑前石川組製糸の経営に当たっていた石川東洋(創業者幾太郎の弟和助の長男)らから本店の民三(幾太郎の長男)へ宛てた7通の手紙です。当時の苦境に陥っていた同社の状況を知ることができる資料となっています。
「石川忠雄家文書」は、石川組製糸の第5工場(扇町屋)に遺されていた798点の資料群です。昭和初期における各工場の生産日報や厨房で使用する食材購入票、蚕糸講習所のテキスト・試験問題、研修生の成績通知や指導要領等、生産・人事・労務に関する様々であり、当時の石川組製糸の経営の様子を窺い知ることのできる重要な資料です。
「石川家芳名帳、筑前石川組製糸関係書簡群、石川忠雄家文書」は入間市博物館が、「石川家土地台帳」は個人が保管しております。
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更新日:2023年04月13日