67 明王寺の「献春の部発句」俳句額

更新日:2023年03月31日

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文字が書かかれた淵の付いた長い木の板の写真

市指定文化財(有形文化財・平成24年3月30日)

 この俳句額は「献春の部発句」と題された、寛政8年(1796)2月28日紀年銘の、市内で2番目に古い奉納俳句額である。材質は桧で大きさは縦42センチメートル、横164センチメートル、厚さ4センチメートル。裏面には「摩訶威怒王(まかいぬおう)」と不動明王の別称が横書きで墨書されている。
 額には、春秋庵加舎白雄(かやしらお)門下の俳人たちを中心に、前段に市域及び近在の俳人たちの句を、後段には関東・甲信地方を中心に広がる白雄門下の句を配し、合わせて18句が記されている。
 加舎白雄は、江戸蕉門の白井鳥酔(ちょうすい)に師事し、埼玉県内を来遊して各地に蕉風俳諧を広めた人物で、安永9年(1780)には日本橋鉄砲町に春秋庵を結んだことから、白雄の俳諧は春秋庵俳諧といわれている。
 市内では扇町屋を中心に白雄門下が多く、その中には其山(きざん)(長谷部代治郎)や烏暁(うぎょう)(長谷部吉右衛門)、棣花(ていか)(栗原平兵衛)のほか呉雪(ごせつ)、兎庵(とあん)、白咄(はくとつ)、畉牧(ふぼく)、素練(それん)などが知られていた。また黒須にも玉峨(ぎょくが)、雄山(ゆうざん)兄弟(繁田武兵衛、忠治郎)がおり、「献春の部発句」前段には玉峨、呉雪、雄山、素練の名が見られる。
 また、後段には、白雄門下を代表する常世田長翠(とこよだちょうすい)や松原庵星布(せいふ)、美濃口春鴻(しゅんこう)、戸谷雙烏(そうう)らの句が載っており、市内における春秋庵俳諧の影響の大きさを知ることができる。
 なお、願主の兎州(としゅう)は牛沢の増田氏と推測される。
 この俳句額は、安永・天明年間から寛政年間における市内の白雄門下と春秋庵連中とのつながりや、市内における俳諧の広がりを知ることのできる貴重な資料である。

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